青山学院大学 AGU NEWS Vol.19
AGUニューズ[2003年10月~11月号]
青山学院大学・広報入試センター広報課
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特集
●理工学部・理工学研究科の改組
●AGU TOPIC
 ・第1回青山学院
 「会計サミット」開催される!


TOPICS
●「各国大使講演シリーズ」第1回
 パノフ駐日ロシア連邦大使講演会
 ―新企画「大使講演シリーズ」
 始まる―

●国際マネジメント研究科NEWS
●英国・オックスフォードで
 行われたジョン・ウェスレー
 生誕300年記念行事に
 深町正信院長が招待される

●クリスマス・ツリー点火祭
 青山・相模原で開催

●AGUニューズについての
 アンケート結果(総評)


報告・お知らせ
●2003年度もやります!!「青山祭」
●上級救急救命法講習会
●2003年度
 給付奨学金・学業奨励賞

●社会に開かれた大学として
 各種講座を開講

●Club & Circle Information
●News Index

誌上公開講座
●幕末期の豪農と情報

INFORMATION
●オープンキャンパス開催報告
●高校1・2年生のための大学説明会
●歴代院長とその時代5
 石坂正信


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幕末期の豪農と情報


文学部史学科助教授
岩田 みゆき

 近世から近代への移行を社会構造の転換とみるならば、幕藩制社会を根底で支える社会的基盤すなわち生産の場である村や村人の生活が江戸時代を通じてどのように変質していったのかという点にまず注目しなければなりません。それは、社会を変質させる最も大きな要因が前近代においては生産の主要な場である村の生産・流通の変化にあるからです。特に幕末維新期の社会構造の変化は、商品流通の発展、資本制的商品生産の形成に求められます。こうした新しい経済制度の展開は、17世紀後半から畿内を中心として徐々に進行し、18世紀後半に到って全国的展開をみせ、幕藩制社会を急速に変容させていきました。この18世紀後半における村の変質の過程で新しい商品生産と流通の担い手として登場してきたのが豪農です。彼らは、地主・商人・高利貸の性格を併せ持ち、多くの場合、村役人を兼ねる村落上層民であり、村や地域の政治・経済・文化を中心的に担う存在でした。
 ところで、豪農はその性格から、必然的に村における政治・経済・文化・社会諸側面における情報の中心的担い手としての成長をとげていたと考えられます。たとえば新しく始めた商品生産者としての技術や商品市場などの情報を入手する能力、市場の変動にかかわる災害、社会情勢、さらに政治情勢に関する情報を収集し、自らの経営判断、政治判断の材料とするために、情報能力を高める必要があったと思われます。また、その社会的地位に見合った教養を身につけるための文化情報などを収集し、その能力を高める必要もありました。その高い教養と経済力は、時に村人からの尊敬をうけて名望家とよばれるものもあり、村人の結婚や就職、村人の間に起きた争いごとの仲介役など、村の世話役として活動するものも多かったのです。
 このように、村の中で情報を受信し、しかも発信する主体が形成されるということ、またそれが地域の中で情報の結節者となり、領主支配にかかわりない広がりで地域のネットワークを形成していくということは、本来情報の領主階級による独占と縦割り行政を基本とする幕藩制社会の基盤を根底から揺るがす動きとして注目できます。
 こういった豪農たちの情報活動を支えていたのが、彼らが成長の過程でつくりあげた政治・経済・文化諸側面における多様な人的つながりです。彼らは豪農商層や神主など同一階層間で文化サークルを結成し、勉強会や情報交換をし、また取引先の商人と頻繁に手紙のやりとりを行い、相場などの経済情報や社会情勢に関する情報を入手しました。さらに国学や漢学などの学問塾への入門を通じて多くの学者と交流をしつつ思想的影響を受け、さらに婚姻関係等を通じて学者・武士などと身分制の枠を越えた幅広い人間関係を形成しました。彼らは、このような関係を通じて、経済活動を有利に展開するとともに、本来百姓という身分では知る由もない情報までもいちはやく入手することができたのです。



 たとえば、嘉永六年・七年(1853・54年)両年のペリー来航は、全国的規模で武士のみならず一般の庶民に到るまで衝撃を与えた事件でしたが、この事件に関する情報は、いちはやく豪農のもとに届いていました。また自らも情報収集活動を行い、巷のうわさから幕府の機密情報にいたるまで、膨大な情報を迅速に収集し、記録を行いました。北関東のある豪農の事例でみると、その収集情報の中には、出入りの商人や旅先の旅籠屋や店屋の主人、村人から聞いた話、瓦版や手紙の写し、川柳や狂歌の写しなど、巷の情報もみられる一方、ペリー一行の上陸と応接の詳細な状況、幕府役人や諸大名の状況、外国から来た書簡の写しなど、一百姓がとても入手できそうもない情報までも含まれています。そして、これらの情報は同じ意識を共有する人々の間で回覧され、情報交換されました。このような情報の回覧活動は、村落上層民の限られた人々の間で行われましたが、その情報提供者の中に、巷のうわさなどについては、出入りの商人や、一般の村人も含まれているところからみると、地域において政治や経済・社会の動向に関心を持ち議論する環境が徐々に整えられつつあったことも確かです。
 さらに幕末の政治情勢の中では、政治事件に関する情報の収集も積極的に行っています。たいていの豪農は村にあって情報に注意をむけながら、時勢の推移を見守っていたのですが、豪農の中には、草莽の志士(幕末に在野で政治活動をした人々)たちの活動の資金援助をするものや、家族の中から草莽運動に身を投じるものも多く出てきました。このような豪農の政治意識の高まりと、豪農の身分制の枠をこえた人間関係の形成、および地域における情報の拠点あるいは結節者としての成長とは無関係ではありません。
 このような人材が、村落上層民とはいえ、幕末期の村の百姓身分のものの中に育成されていたということ、しかも幕末期に層として登場してきたということが、幕末の内憂・外患といわれる政治・経済・社会の変動の中でも村や地域が守られてきた大きな理由ではないでしょうか。





岩田 みゆき/1982年青山学院大学文学部史学科卒業、お茶の水女子大学大学院人文科学研究科史学専攻修士課程修了。博士(人文科学)。専門分野は日本近世史・幕末社会史。神奈川大学日本常民文化研究所専任職員を経て、2003年に青山学院大学文学部史学科助教授に就任。

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