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戦後西ドイツにおける被追放民・東独難民の受け入れ

永山 のどか[NAGAYAMA Nodoka]

永山 のどか[NAGAYAMA Nodoka]

第2回 2022/6/18(土)
経済学部経済学科 教授
永山 のどか[NAGAYAMA Nodoka]

 第二次世界大戦後、西ドイツは他の敗戦国より早く復興し、高度経済成長期に入りましたが、経済成長の要因の一つには、潤沢な労働力の供給がありました。ドイツ経済史家のアーベルスハウザーは、潤沢な労働力供給の要因として東部ヨーロッパの旧ドイツ領から追放された人々(以下、被追放民)や東ドイツからの避難民(以下、東独難民)の流入を挙げており、1950年代前半以降の西ドイツ経済の再建過程において流入者の存在がドイツ経済に利益をもたらした点、また、1950年代後半に専門知識を持つ労働力が必要になった際に、東独難民が重要な労働力となった点を指摘しています。さらに、労働力として高度経済成長に貢献したことが被追放民・東独難民の西ドイツ社会への統合を容易にしたことも併せて言及しています。
しかし、被追放民・東独難民が統合する過程においては、「かなりの社会的な適応コスト」(ホルトマン)が生じました。失業率をみると、1950年代、被追放民・東独難民のそれはドイツ人全体のそれに比べて高く、被追放民・東独難民自身には統合過程において社会的な負担がかかっていたのです。
負担がかかっていたのは、しかしながら、被追放民・東独難民自身だけではありませんでした。連邦政府や各州政府も、戦争に伴って生じた「負担を均衡する」という名目で、被追放民に対して金銭的な補償を行い、また、住宅供給においても彼らを優遇しました。東独難民の流入の際にも彼らへの住宅供給に対して、多額の公的資金が投入されました。住宅供給の場合、資金は主として国や州から――そして東独難民の場合は、アメリカ合衆国からも――出されました。一方、市などの地方自治体は、彼らの住宅供給・斡旋に直接かかわっていきました。当時は、一般の住民の住宅も不足していましたので、被追放民や東独難民の住宅供給を優先する地方自治体に対して一般の住民からは不満の声も上がりました。
ホルトマンのいう「社会的な適合コスト」とはどのようなものだったのでしょうか。また、アーベルスハウザーのいう戦後の労働力としての東独難民・被追放民はどのような存在だったのでしょうか。この講義ではシュツットガルト市を事例として取り上げ、被追放民と東独難民の流入に対し地方自治体や地元住民がどのように向き合ってきたのか、また、被追放民・東独難民は労働力として地域の戦後復興・高度成長にどのように関わっていったのか、という点を考察します。

プロフィール

青山学院大学 経済学部経済学科 教授
永山 のどか[NAGAYAMA Nodoka]

一橋大学社会学部卒業、同大学大学院経済学研究科修了。早稲田大学人間科学学術院助手、青山学院大学経済学部准教授を経て2018年より現職。専門はドイツ社会経済史。『ドイツ住宅問題の社会経済史的研究―福祉国家と非営利住宅建設』日本経済評論社、2012年、「1960年代西ドイツにおける団地建設と区画整理事業―シュツットガルト市の事例」馬場哲・高嶋修一・森宜人『20世紀の都市ガバナンス―イギリス・ドイツ・日本』晃洋書房、2019年など。