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通勤手当ができたころ

通勤手当ができたころ

第2回 2018/6/30(土)

 現在の日本では多くの場合、被雇用者が通勤するための経費を雇用者が負担しています。都市部で言えば、「定期券代は会社もち」というわけです。しかしこれは必ずしも古くからあった習慣ではなく、高度成長期に少しずつ広がっていったのでした。
 郊外に居住し都心の職場に電車で毎日通勤するというライフスタイルは20世紀の初頭に誕生し、両大戦間期(1920~30年代)に普及しました。工業化によって環境の悪化した都心部を避け、空気のきれいな郊外の一戸建てに住まうのを理想とする価値観も、この時期に広がったのです。
 しかし当時は通勤のための経費は自弁が原則であり、鉄道運賃も戦後と比べて相対的に高額でしたから、交通費を気にせずに居住環境を選択できたのは一部のエリート層に限られていました。多くの人々は家賃と交通費とのバランスその他を考慮しながら、少々環境が悪くとも職場に近い場所に住まいを借りたり、経営者が用意した寄宿舎に入ったりしました。日雇い労働に従事する人々も、仕事にありつくためには都心部にとどまらざるを得ませんでした。このような制度は、都市の郊外への拡大を抑制したと考えられます。
 一方、高度成長期以降のように雇用者が通勤費を支給するということは、被雇用者の立場にしてみれば家計の交通費負担が大幅に軽減されることを意味しました。地価や家賃が都心から離れるほど安くなると仮定すれば、長距離通勤に耐えることが住居費を節約することにつながる仕組みが形成されたと言えます。このことは、1980年代の「バブル期」まで続いた都市の外延的な拡大を促進したと考えられます。
 「雇用者による通勤手当の支給」は、法制度的には所得税法によって通勤手当が課税対象外とされることで成立しています。これが明文化されたのは1966年のことで、その非課税限度額は年を追うごとに上がっていきました。一方、公務員にはそれ以前から一定の限度内で通勤費を支給する制度があり、これもひとつの指標となり得ます。
 バブル崩壊後に「都心回帰」が指摘されるようになって久しく、また「格差拡大」のなかで通勤費が支給されないケースもみられるようになった今日、このような事柄から高度成長期の都市拡大を考えてみるのも興味深いのではないでしょうか。

青山学院大学経済学部教授
髙嶋 修一 [Shuichi Takashima]


東京大学文学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)。
立正大学経済学部専任講師、青山学院大学経済学部准教授を経て、同大学経済学部教授。専門分野は日本経済史。
主要著作『都市近郊の耕地整理と地域社会:東京・世田谷の郊外開発』(2013年)、『都市の公共と非公共』(名武なつ紀と共編著、2013年)など。