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江戸時代からみた戦後日本の住宅保障

木下 光生 [KINOSHITA Mitsuo]

木下 光生 [KINOSHITA Mitsuo]

第3回 2022/6/25(土)
奈良大学文学部 教授
木下 光生 [KINOSHITA Mitsuo]

当たり前のことであるが、「住まい」は衣食住を構成する一角として、古今東西を問わず、人びとの日常生活を根本から支える、最重要事の一つである。であるがゆえに、それが誰の手によって維持・管理され、誰の責任範疇としてその供給が保障されるのかに、当該の社会と時代の特質が如実にあらわれることとなる。本講座では、こうした問題意識のもと、戦後日本の住宅保障史を、17世紀の江戸時代から長期的、かつ比較史的に見通すという、これまで誰も追究してこなかった困難な研究課題に、果敢に挑むこととしよう。
 2016年におこなわれた国際アンケートによれば、「尊厳を保てる世間並みの住宅(decent housing)を入手できない人に対し、それを保障する責任が政府にあるか」という問いに対し、調査対象35ヵ国中、21ヵ国で賛成回答率が8~9割台にのぼり、34ヵ国が賛成6割以上と、ほぼすべての国が政府責任を認めるなか、唯一、賛成が5割どころか4割にすら達しなかったのが、賛成37.6%の日本、であった。住宅のみならず、生活保障全般について、日本社会が政府・国家の責任を認めたがらず、「自己責任大好き」社会となっているのは、ほかの国際アンケートからも確認できるところであるが、こと「住まい」についていえば、その冷淡ぶりは圧倒的である。21世紀日本はなぜ、「住む」ことに対し、かほどまでに冷たくなれるのか、その歴史的背景を以下の観点から追究してみたい。
 住宅保障を歴史的にとらえるためには、まずその大前提として、どの程度の家が、「普通の家」として認識されていたのかを確認する必要がある。住宅統計が存在しない江戸時代で、家屋の規模を詳細につかむのは困難を極めるが、断片的な史料によりながら、人口の大半を占めた村人たちの主屋について、どれぐらいの広さが「普通」だったのかを推計し、それを統計のとれる近代以降の数値とつなげてみて、どこに歴史的な画期が見出せそうか、検討してみよう。
 近世日本の場合、この「普通の家」を維持する責任は、各世帯にあった。一見当たり前に思えるこのこと自体が、比較史的にみれば近世日本の特徴ともなるのだが、では、災害など不測の事態で家屋の維持が難しくなった場合、江戸時代の村や領主、幕府はどこまで救いの手を差しのべてくれたのであろうか。村人同士の助け合い精神や、殿様の慈悲深い心による手厚い住宅保障がみられたのか、はたまた「各家の自己責任」としてほったらかされたのか、確認していこう。
 そのうえで、こうした江戸時代以来の「伝統」が、近現代の国や自治体による住宅保障制度をどこまで歴史的に規定していくことになるのか、見通していくこととしよう。その先にはきっと、自分と他人のより良き住まいを、税金と国家、そして社会全体で支えようとしない21世紀日本の歴史的位置が見えてくるに違いない。

プロフィール

奈良大学文学部 教授
木下 光生 [KINOSHITA Mitsuo]

立命館大学文学部史学科日本史学専攻卒業、大阪大学大学院文学研究科史学専攻博士前期課程修了、同大学院文学研究科文化形態論専攻博士後期課程修了。博士(文学)。現在奈良大学文学部教授。主な著書に、『貧困と自己責任の近世日本史』(人文書院、2017年)、Public Goods Provision in the Early Modern Economy(共著、University of California Press、2019年)などがある。