AGUインサイト 世界を読み解くコラム

EUはどこへ向かうのか? ~ギリシャとイギリスがEUを離脱する日はくるのか~ 経済学部 中川辰洋教授



ツィプラス政権の1年とはなんだったのか

「デフォルト(債務不履行)となるか、ならないか」で、世界中が注目したギリシャのソブリン(公的債務)危機。2015年8月、ギリシャは金融支援を受けるために提示された緊縮財政の継続、年金制度や労働市場の改革、国公営企業の民営化などの実行を約束し、ヨーロッパ連合(以下EU)から3年間で最大860億ユーロにのぼる金融支援を取り付け、デフォルトおよびギリシャのユーロ圏離脱(GREXIT)は当面回避されました。

これまで度重なる財政状況の悪化により、EUなどの国際債権団から過去2度にわたり金融支援を受けたギリシャは、その見返りとして厳しい条件を課せられ、国民に大きな負担を強いるようになっていました。景気は落ち込み、国民の生活レベルが悪化して大きな反発を招くなか、2015年1月に行われた国政選挙では、「反緊縮」を公約に掲げた急進左派政党のシュリザ(急進左派連合)が、250万人にものぼるといわれる生活困窮者らの支持を集め、ギリシャ憲政史上初めて政権の座に就きました。

ギリシャ総選挙で勝利宣言する与党・急進左派連合(SYRIZA)のツィプラス前首相(左)と、連立相手の独立ギリシャ人党のカメノス党首(ギリシャ・アテネ)(2015年9月20日)
写真/©AFP=時事

シュリザの党首でもあるアレクシス・ツィプラス首相は、国民の高い支持を背景に新たな金融支援交渉に臨みましたが、結局は、国際債権団の主張する税制、年金制度、労働市場の改革、国営企業の民営化、財政再建などの経済構造改革の実施を受け容れることになったのです。

急進左派政権が誕生してから1年。国内外の投資家たちは政権1周年を祝福するかのように、ギリシャ系企業や銀行の株を売り浴びせたため、アテネ証券取引所は年明け後弱含みに推移し、2016年2月8日には急落商状*1となり、少なくとも1991年以来25年ぶりに最安値を更新しました。その理由としては、同国の大手銀行の経営不振や破綻懸念に加えて、急進左派政権が国際債権団――EU、IMF(国際通貨基金)、ECB(ヨーロッパ中央銀行)との間で合意した第3次金融支援*2の条件となっている税制や年金などの改革が進捗せず、月内に開始される進捗状況の審査が難航するとの悲観論が台頭していることを挙げなくてはなりません。ヨーロッパ・メディア筋によると、ツィプラス首相は現行の金融支援を放棄し、近く国際債権団との間で新たな債務交渉を行うであろうというのです。

  1. *1 株式や債券などの相場が急激に下がる商い(取引)状況。
  2. *2 ギリシャは過去にも財政状況が悪化し、緊縮財政、年金制度や労働市場の改革をすることを条件に国際債権団から2010年、2012年に金融支援を受けています。

はたしてメディア筋が正しいとすれば、ギリシャの債務問題の処理・解決、経済改革と国民生活の改善などを謳って前年の国政選挙に勝利し、たとえ右派政党との連立とはいえ歴史上初めて政治権力を握った急進左派政権の1年とは一体なんだったのでしょうか。税制や年金制度、労働市場の改革は「社会的影響が大きすぎて手を出せない」というのであれば、急進左派が選挙公約とした他の分野の改革は実行したというのでしょうか。そうであれば、なぜギリシャはいまなお混乱から脱せないのでしょうか。急進左派の政治家の言い分は、一般大衆の不興を買って権力の座から滑り降りたくない、という保身の弁でしかありません。貧しい民衆に顔を向けるそぶりを見せた“左からのポピュリズム”――左翼大衆迎合主義――とともに、ギリシャ国民の遥か昔のご先祖さまのいう“冥府(ヘデス)”を流れる“忘却の川(レテ)”に身を沈めるのにそう時間を要しないかもしれません。

問題は、GREXIT(ギリシャのユーロ圏離脱)。ギリシャ人自らその選択をするか、それともEUのパートナーたちが引導を渡すかのどちらかです。ツィプラス首相の政治スタイルは、対話や交渉を重視するよりも、労働階級の闘士を気取ってタフネスを売りとするところにありますが、この先もそうしたスタイルがEUの代表者たちに通用するかどうかは、疑問です。

イギリス ~もうひとつの離脱?~

ギリシャの現状が報じられる一方で、メディア筋はもうひとつの離脱――BREXIT(イギリスのEU離脱)――の当事者であるデイヴィッド・キャメロン英首相を、ツィプラスよりもひどい政治家と非難しています。キャメロンはドイツやフランスなどに対して銃を振りかざして「お前たちがオレたちにEUに残ってもらいたいと思うなら、オレたちのいうとおりEUのルールを変えろ。さもなければ銃をぶっ放すぞ」といわんばかりだというのです。ありていに言えば、ゆすりたかり(ブラックメール)です。

ギリシャとイギリス――このふたつの国は、ヨーロッパの北と南の端に位置し文化や習俗が大きく異なりますが、現在、共通の悩みに直面しています。それは、中東や北アフリカなどからヨーロッパになだれ込んだ難民と称される人たちの受け容れ問題です。いわゆる難民がヨーロッパに入る玄関先のひとつがギリシャですが、その行き着く先のひとつが、豊かなドイツと並んで、言葉(英語)の通じやすいことなどからブリテン島(イギリス)となっているのです。「ドイツなどの過酷な債務返済条件のためにギリシャ国民は苦しんでいる」とお涙ちょうだい風を装っているアテネ政府ですが、どっこい、ギリシャの難民への待遇は「人道的ではない」との評判が絶えません。ギリシャが難民問題の“ボトルネック(隘路)”と称されるゆえんがここにあります。この点、反西欧(反EU)、国粋主義、カトリック至上主義(ムスリムなど異教徒排斥)を旨とするハンガリーやポーランドなどの旧共産圏諸国となんら変わるところがありません。

かたやイギリスは、ヨーロッパとは距離を置き、今次難民問題では火の粉をかぶることを望みませんでした。けれども、この国の歴代政府が判を捺いた条約やルールを反故にする点では、ギリシャと同様と言わざるを得ません。キャメロン政権がそうした道を選択するならば、ヒトラーを称賛するハンガリー、旧宗主国(ロシア)の元首の専制政治(政治のプーチン化)に倣うことを恥じないポーランドやチェコなどと同類と見られかねません。

ハンガリーやポーランドなどの旧共産圏諸国では、極端な国粋主義に傾斜した右翼大衆迎合主義の政府があいついで誕生していますが、これはツィプラス率いる左翼大衆迎合主義の勝利に勢いづいたスペイン、ポルトガルなどの急進左派政党の台頭の反動と考えられます。極右・ファシスト勢力の台頭が、民主主義の成長途上にある旧共産圏諸国に限られた問題であれば、さほど気にする必要がないかもしれません。しかし、それがフランス、ドイツ、オランダといった、西欧の中核を占める諸国に及ぶとなると話は変わってきます。とくにフランスでは、優柔不断で知られる現職のフランソワ・オランド大統領に幻滅し反発する国民の支持を得て極右政党(国民戦線)が急伸しています。そのありようは、ギリシャ国民の多くが既存の政治エリートに背を向け、左派のシュリザ政権が誕生する前夜に酷似している、と言ってもあながち誇張ではないかもしれません。

ギリシャのメンタリティはどこからきたのか

この1年余り、EUはギリシャに振り回された感がありますが、それは債務救済・金融支援の面だけでなく、この国がEUの制度・機構、ひいては難民問題にも直接・間接的に影響を与えたからかもしれません。それらの問題を理解するためには、まず吹けば飛ぶような小国ギリシャが、身の丈にあわない借金の山をどうして築いたのか、また借金であれば返済するという当たり前のルールがこの国ではなぜ通じないのか――といった疑問に答えることからはじめるのが順当です。それはまたギリシャの近現代の歩みを振り返ることにもなります。

その前にみなさんにお聞きしておきたいことがあります。みなさんは、古代史ならいざ知らず、近現代史でギリシャという国名を目にしたことがありますか? 大半の方は、 “OXI(オヒ)”(ギリシャ語で「いいえ」の意)と答えるでしょう。このコラムのねらいは、大方の人が中高のテキストではほとんど無視されているギリシャの近現代史を振り返りながら、現代ヨーロッパのありようを理解する材料を提供するところにあります。

2015年7月5日の国民投票で、ギリシャ国民の半数以上はアレクシス・ツィプラスの率いる左派政党の「反緊縮政策」を支持しました。他国から金融支援を受けなくてはやりくりができない状況にもかかわらず、「反緊縮」を選択するギリシャの国民性は、われわれ日本人にはなかなか理解しがたいものがあると思います。果たして、その根底にあるギリシャ人のメンタリティとはどのようなものなのでしょうか。

ギリシャは、19世紀前半にトルコ人の支配を逃れて独立を手にするまで、ローマ帝国、東ローマ帝国、そしてオスマン帝国といった異民族・外国勢力によって長らく支配されてきました。ギリシャ人たちは長い異民族・外国人支配のなかで「国に歯向かうことは善」というメンタリティを培ってきました。彼らにすれば、国に反抗し、国の富や財産を盗むことは自分たちのものを取り戻すだけだから「義賊」である。それが転じて、歴代の政府は国有財産を盗んでは自らの支持者に大判振舞することを「義務」と心得てきました。ギリシャが政治学者のいう「泥棒国家(クレプトクラシー)」*3の所以です。

  1. *3 朴正煕、フェルディナンド・マルコスやスハルトが支配した時代の韓国、フィリピン、インドネシアも政治学では「泥棒国家」体制に分類されます。

1829年、ようやく王政によるギリシャ国家が誕生し、20世紀初頭には共和制が敷かれます。ですが、すぐに王政が復活したり、はたまた独裁政治に取って代わられたりと、その後もなかなか国家体制の安定しない状態がつづきました。しかも第二次世界大戦時にはナチスドイツに支配され、戦後は戦後で英米仏などの連合軍に味方する勢力と旧ソ連(ロシア)に与する勢力との間で内戦が勃発、さらにまた1960年代末には軍事独裁政権になるなど、信頼できる国家体制はいつまでも築かれぬまま、年月が過ぎていきました。こうしたなかで、政治家たちは以前からの「泥棒国家」メンタリティのまま、自分たちにとって利害関係が一致する人びとから支援を集め、政権をとったあかつきには、支援者にお金をばらまくという行為を繰り返していきました。「デモクラシー」の語源となる「ディモクラーティア」という言葉を生んだギリシャ人ですが、皮肉にも自分たち自身の国はなかなかデモクラシーを確立できませんでした。そしてそのツケが表面化し、現在に至っていると言ってよいでしょう。ギリシャへの金融支援はEU各国の税金でまかなわれているので、今やユーロ圏から出て行ってもらいたいと思う国があっても当然です。しかしその一方で、ギリシャ問題は、今後のユーロ圏ひいてはEUをどのように形づくっていくのかという未来像を真剣に考えるきっかけを与えることにもなったのではないか、と私は思います。

マップ ヨーロッパにおけるEU加盟国

図:ヨーロッパにおけるEU加盟国



プロフィール

経済学部 中川辰洋教授

経済学部
中川 辰洋 教授


研究