AGUインサイト 世界を読み解くコラム

オフレコ問題からメディアの倫理と法を考える 法学部 大石泰彦教授



相次ぐ「オフレコ」破り

「書いたらその社は終わりだからな」
「放射能つけちゃうぞ」
「犯す前に今から犯しますよと言うか」

昨年、政治家や官僚のこうした非公式の発言が物議をかもし、結局、彼らは最終的に辞任にまで追い込まれました。しかし、テレビ・新聞などのメディアは、最初からそろってこれらの発言を報道したわけではありません。確信的にそれを報じたところ、他社に追随したところ、対応はさまざまでした。このような報道の違いには、それぞれのメディアが考える「倫理」の見解が反映されています。

最近の主なオフレコ破り問題

年月 発言者 発言内容 発言の背景 報道した
メディア
2011年7月 松本龍
復興対策担当相
「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」「今のはオフレコ発言です。書いたらその社は終わりだからな」 大臣が宮城県庁を訪れ、村井知事と会談したとき、知事の出迎えがなかったことに対しての発言。 最初に東北放送が報道したとされる
2011年9月 鉢呂吉雄
経済産業相
「放射能つけちゃうゾ」 福島視察から帰京した夜、議員宿舎で記者団と懇談中の発言。 最初にフジテレビが報道したとされる
「残念ながら周辺市町村の市街地は人っ子一人いない『死の町』だった」 福島視察後の会見時の発言。
2011年11月 田中聡
防衛省
沖縄防衛局長
「犯す前にこれから犯しますよと言うか」 那覇市での懇親会にて。防衛相は環境影響評価書を“年内に提出できる準備を進めている”と述べているが、年内提出を明言しないのはなぜか」と質問への発言。 最初に琉球新報が報道

東日本大震災以降、今までは漠然と信頼していたものが、根底からあやしくなってきている現実があると私は感じています。「オフレコ破り」問題が多発しているのも、その影響を受けているのでしょう。政治家や官僚などの権力者、それから大企業などが、本当に頼りになるのか、どんな姿勢で仕事に取り組んでいるのかなど、日本国民全体からこれまでになく厳しい目が注がれ、メディアは今まで通りの政治・経済報道でよいのか、自問自答しているのではないでしょうか。毎回参加者を増やしている永田町での反原発デモでは、メディア批判の標語や叫びも見られます。

そもそも「オフレコ(off-the-record)」、すなわち「その内容を公表しないことを前提として行われる取材」には、どんな意味があると思いますか。取材は事件があった時や話題にのぼった時だけに行い、その時の旬のネタを取ってくるだけではありません。中期的・長期的に取材することによって、事実をどうとらえ、位置づけていくかが大切です。取材中、その時点ではまだ十分に確認がとれていなかったり、裏に差別などのタブーが存在していたり、何らかの理由で「公表をしない」という前提で当事者の話を聞くことがあります。しかし取材内容は公表できなくても、背景を知っておくことで、その時点でのニュースの伝え方の深みも違ってくるのです。

オフレコ取材の是非は以前から問われています。取材過程にオフレコを組み込むことによって、初めて真相に迫る、掘り下げた取材ができると考える肯定論と、オフレコを用いることによって、記者が取材対象に絡めとられ、場合によっては情報操作されてしまうという否定論です。しかしオフレコ取材の本質的な問題は、このような肯定・否定論ではなく、メディアが誰に向き合って仕事をしているのかということなのです。

メディアの健全なあり方とは

日本国憲法21条1項には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」と規定されています。メディアはこの「表現の自由」に基づいて、さまざまな取材をし、テレビ・新聞などで報道しています。

基本的に国会も選挙も多数決であるように、憲法も多数決原理で出来ています。しかしながら世の中には多数派ではない、少数者もいるわけです。そのために人権があわせて保障されていて、「表現の自由」も人権の一つですから、その本質的な意味は、多数決によっては救われない「少数者の声」をあらわにすることにあります。そうすると「多数決に乗っかっている政治権力というものを、少数者の観点もふまえた立ち位置で批判していくこと」が、メディアの役割であるということになるでしょう。沖縄や被災地の思いを踏みにじる発言を、オフレコ破りをしてまで報じたメディアは、もしかするとそのような観点から報道に踏み切ったのかもしれません。

日本経済新聞社情報源公開問題
事件の背景・経緯

大阪枚方市の前市長・中司宏被告が、発注工事の際、大手ゼネコンと談合したとして、大阪地検特捜部が中司被告らを「談合罪」で逮捕。中司被告は、その際の日本経済新聞社(以下「日経」)の報道に対して、「名誉毀損」であると提訴。その提訴に対し、日経は実名を記した、複数の取材メモを提出した。

2007年7月6日
大阪本社発行の朝刊で「中司被告が大手ゼネコン関係者から頻繁に接待を受けていた」との記事を社会面トップで掲載。

2007年7月31日
中司被告が、大阪地検特捜部に逮捕される。一時は容疑を認めたが、公判では一貫して無罪を主張する。

「日経の記事において、名誉が傷つけられた」と、中司被告が日経側に1000万円の賠償を求めて提訴。

中司被告は、1・2審で有罪判決を受け、上告中。

日経は、記事の信ぴょう性を証明するために、検察幹部2人の実名を記した、複数の取材メモを証拠として提出。

2012年6月15日
大阪地裁は日経側が提出した取材メモなどを「記事を正当化するにはとうてい足りない粗末なもの」として、同社に600万円の支払いを命じる。同社は控訴。

先日、取材源を公開した日本経済新聞社が問題になりました(2012.7:事件の背景や経緯は右記をご覧ください)。記事掲載時には「関係者筋」などと言葉をにごしていたものが、自らが裁判に巻き込まれると一転して裁判所ではそれを明らかにしてしまったのです。これは、オフレコ破りを超えてジャーナリズムの大原則を逸脱した行為であると言わざるをえません。メディアが、国民への開示責任よりも、自分の身を守ることを優先してしている姿勢があらわになってしまったのです。「倫理」に対するメディアの認識の低さがうかがわれる事件です。

そもそもこの国で、メディアに携わる一人一人が、本当に「知識」「技術」「倫理」に裏打ちされた「プロ」としてのジャーナリスト意識を持っているのでしょうか。日本では、諸外国のように、大学でも、別の教育機関でも、「プロ」としてのジャーナリストを育てる教育はほとんど行われていません。多くのメディア人は、「大学ではジャーナリストは育たない」と考え、「プロは現場でこそ育つ」という信念を持っているようにみえます。現場の教育では「知識」や「技術」は身に付くでしょうが、プロとしての「倫理」はどうでしょう。もちろん、自らの仕事がこれでいいのかと自問し悩む良心的な記者がいることは私も知っています。しかし、多くの記者は自分の信念や生き方を脇において、まずは会社員として行動しているように思えてならないのです。しかし「3・11」以後の社会の激動を見ると、今こそ一人一人が自ら「倫理」を考え行動すること、そして政治や企業のみならず、メディアも変わっていくことが必要だと強く感じます。


あわせて読みたい

  • 『メディアの法と倫理』 大石泰彦著(嵯峨野書院:2004)。
  • 『マスコミの倫理学』 柏倉康夫著(丸善:2002)。
  • 『どうする取材源-報道改革の分水嶺』 藤田博司著(リベルタ出版:2010)。

プロフィール

法学部 大石泰彦教授

法学部
大石 泰彦 教授


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