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「建築は時代や記憶を継承する」 総合文化政策学部 鈴木博之教授



歴史的重要文化財「東京駅」

2012年10月1日。東京駅の丸の内駅舎が創建当時の姿となり、グランドオープンしました。みなさんご存知のように、様々なメディアがその姿を取材し、たくさんの観光客が大正時代の姿となった東京駅の姿を見に来ています。

2012年10月グランドオープンの東京駅

2012年10月グランドオープンの東京駅
(写真提供:JR東日本)

2012年10月グランドオープンの東京駅

1914年12月、創建当時の東京駅
(写真提供:JR東日本)

東京駅が建てられたのは、1914年12月のこと。もともと鉄道は、1872年に「新橋(今の汐留)〜横浜間」で開通し、1889年には新橋から東海道線が、1891年には上野から東北線が開通しました。新橋から始まる東海道線と、上野から始まる東北線をつなげていこうということで、東京駅の建設が始まったのです。東京駅の正面には大通りを作り、皇居前広場につなげる。東京駅と大通りはセットで建設が進み、東京駅の姿が固まっていくことは、単なる駅としての役割だけでなく、「東京の表玄関が固まっていく」という意味もありました。

1923年の関東大震災でほぼ無傷だった東京駅の建築には、1891年に岐阜県本巣郡西根尾村を中心に起こった日本史上最大の「濃尾地震」の教訓が活かされています。

当時の日本は、19世紀イギリス建築を学び、レンガ造りの建築が増えていました。しかし濃尾地震で、新しくできたばかりのレンガ建築はほぼ崩壊し、日本の伝統的な土蔵で作った建物のほうが多く残ったのです。当時「三菱一号館」の建設にあたっていた、日本にイギリス建築を教えたジョサイア・コンドル氏、また当時「日本銀行本店」の設計を進めていた、コンドル氏の弟子で日本近代建築の祖・辰野金吾氏は、それぞれ大幅な設計変更をしたと言われています。

東京駅の設計を依頼された辰野氏は、鉄骨で一種の鳥かごみたいなものを作り、その中にレンガをつめていくという方法を用い、関東大震災でもほぼ無傷だった東京駅を造ることができました。イギリス伝統のレンガ造りが、日本の地震に耐えうるように鉄骨がプラスされ新しい建築となり、日本建築史にとっての新しい一歩となったのです。

「東京駅」復原への道

終戦直前の空襲で、ドーム屋根と3階部分が焼失してしまった東京駅は、急きょ行われた修復工事で、ドーム屋根に変えて八角形の屋根が、そして損傷が激しかった3階部分は撤去され2階建てとなりました。

実は戦後すぐの1950年代には、東京駅を立て直し、24階建ての超高層ビルにしようという計画が何度も出ていたと言います。当時の建築基準法や、新幹線に予想以上の予算がかかったことなど様々な問題で、その計画は実現されませんでしたが、その技術と理論が霞ヶ関ビルにつながったと言われています。

戦後すぐから立て直しの計画がありながらも、50年余の時間を経て、1999年にようやく東京都とJR東日本が保存・復原の方向で基本認識が一致しました。2000年からは、重要文化財に指定したり、建築基準法・都市計画法の改正をし、丸の内駅舎が本来もっている容積率を売ることにより、500億円と見込まれた復原工事の費用を捻出し、2007年5月にようやく工事が着工できたのです。

工事にあたっては「残っているものを最大限に残す」「創建当時の姿に戻す」「免震性」を軸に、保存しながらも安全を大優先に、様々な工夫がされました。

2階の上に、新たに3階をプラスするとなると、3階の荷重が問題です。建設当時と同じように、3階を造り足すとなると、かなりの荷重が2階までにかかり、残った部分も改造しなければいけなくなります。しかしながら、今回の復原の大前提は「建築当初から残っている部分は、できるだけそのまま残す」ということ。そのためには、残っている2階までの建物の負担にならないように、3階部分の鉄骨は軽くして、外観はもとの姿にするという形で進められました。

また地震が多い日本、免震は必須です。最近の建築では、長い建物は途中で継ぎ目を作って、そこでズレるようにしている設計が多いのですが、東京駅はひとつながりの建物なので、350mもの建物をそのまま免震しなければいけませんでした。駅舎1階と新たにもうける地下1階との間に免震装置を入れることで、その問題をクリアにしました。

屋根裏部屋からガラス張りの屋根で採光を取り入れたラウンジ

屋根裏部屋からガラス張りの屋根で採光を取り入れたラウンジに。宿泊客のみ入れる空間。
(写真提供:JR東日本)

このように東京駅は使用されながら、5年半の月日をかけ復原工事が進められ、67年ぶりに創建当時の姿となりました。私自身が気に入っているのは、中央部にある線路側の屋根をガラス張りした部分。ホテルの宿泊客の朝食が提供されるラウンジ「The Atrium」で、もともと屋根裏部屋だったものを有効活用しています。保存も大切ですが、活用も考えなければいけない。古きも残し、新しきものも入れるという発想が、建築を保存・復原する上で大切だと考えています。


あわせて読みたい

  • 『現代の建築保存論』 (王国社:2001)
  • 『都市のかなしみ』 (中央公論新社:2003)
  • 『都市の記憶』 (共著)(白楊社:2002)

プロフィール

総合文化政策学部 鈴木博之教授

総合文化政策学部
鈴木 博之 教授

鈴木博之教授は、2014年2月3日にご逝去されました。
心から哀悼の意を表します。


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