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佐伯眞一教授「戦場の精神史──武士道という幻影」が第3回角川財団学芸賞受賞が決定

佐伯 眞一
佐伯 眞一
文学部日本文学科教授
 本学文学部日本文学科 佐伯眞一教授の著書「戦場の精神史──武士道という幻影」(NHK出版)が、第3回角川財団学芸賞を受賞することに決まりました。授賞式は、2005年12月5日(月)に東京會舘 丸の内本館にて行われます。


※「角川財団学芸賞」は、アカデミズムの成果を広く読書人・読書界につなげ、もって研究諸分野の発展に寄与することを目的に、「高レベルの研究水準にありながら、一般読書人にも読まれうる研究著作」「卓抜な研究蓄積から生まれた、啓蒙的ないし評論的な著作」「専門研究・研究書からの敷衍・応用として、一般性のあるテーマで、独創的に構築された著作-評伝・都市や物事の個別史」などを対象に、毎年選考されています。

 『戦場の精神史──武士道という幻影』は、私が初めて手掛けた一般向けの書籍で、まさか賞をいただけるとは思ってもいませんでした。しかも、角川財団学芸賞の選考委員は錚々たる方々で、その意味でもとても光栄に感じています。
 執筆のきっかけとなったのは、本書冒頭部分で触れたように平家物語の「越中前司最期」の場面をどのように解釈すればいいのか、私自身が考えあぐねたことでした。この場面では、源氏方の武士による「だまし討ち」が行われており、源平がフェアプレイ精神で美しく戦っていたという一般的なイメージを大きく裏切るものです。私はこの問題を考えることを通して、「人間にとって戦いとは何か?」という根本的な問題に直面し、軍記物の研究者として自分の考えを整理する必要性を痛感しました。そこで、文学のフィールドを離れた広い視野から、武士の実像を探り始めました。本格的にとりかかったのは、5年ほど前のことだったと思います。
 「平家物語」「太平記」の時代を生きた武士たちが持っていた倫理観とは、端的に言えば「戦(いくさ)に勝つこと」「生き延びること」であり、そのための裏切りや奇襲はめずらしいことではありませんでした。戦場の武士たちは、常にいかに生き残るべきかという切実な課題と向き合っており、中世の「武士道」とは、そういう状況から生まれた知略を含む精神です。そこには合理主義的な側面さえありました。


 そして、今日多くの人が信じている高潔な倫理・道徳としての「武士道」は、近代以前の「武士道」とは歴史的に隔絶されたものといえるでしょう。その高潔なイメージを決定付けたのは、武士がいなくなった明治時代に、新渡戸稲造によって書かれた『武士道(BUSHIDO, THE SOUL OF JAPAN)』の影響が大きかったと思われます。この本は、欧化主義の時代に教育を受け、日本の古典にはあまり詳しくなかった新渡戸が、アメリカ人に対して「日本人の立場」を主張する意図で書かれたように見えます。新渡戸はアメリカ人にアピールするため、ヨーロッパの騎士道をベースにオリジナルな「武士道」を創作したのです。ですから、日本人がこの書物を読んで武士道を知るというのは、かなりおかしなことです。ところが、知識人と言われる人までが、この近代生まれの「武士道」を日本古来の伝統であると鵜呑みしている……私は、「昔は良かった」という懐古趣味の文脈で「武士道」が語られることに一抹の危惧を感じます。
 誤解されがちなのですが、私はこの著書で武士という存在を否定しているわけではなく、「時代や文化のあり方によってさまざまな価値観がある」ということを言っているに過ぎません。中世の武士は名誉を重んじました。しかし、その名誉とは、平和な世の中に生きる私たちが思い浮かべる名誉とはかなり違ったものなのです。合戦=戦争という生命をかけた現実が、きれいごとで済むわけがありません。それぞれの時代や文化に、それぞれの価値観があり、正義や名誉の“形”があります。現代に生きる私たちは、自分たちとは全く異なる精神のあり方を見つめることによって、「なぜこんなに違うのか?」と考え、歴史と人間への理解を深めることができるのではないでしょうか。若い学生たちにはぜひそのことを知って欲しい。そんな思いから、私は本書の構想段階の2002年度に「日本文学特講」という授業で「合戦の掟」を取り上げたほか、2003年度、2004年度に担当した「フレッシャーズ・セミナー」でも、このテーマを取り上げました。
 「武士道」に限らず、若い人たちが多様な価値観について自らの頭で考え、理解することは大切です。グローバル化が進展する現代において、民族や宗教を超えた相互理解を図ることが、私たちが「生き延びる」ための唯一の方策なのですから。
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