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誌上公開講座 No.44
青山スタンダード テーマ別科目 人間理解関連科目「音楽A」

那須 輝彦
文学部史学科
教授
(西洋音楽史)
那須 輝彦
 大学でもお歌を歌ったり笛吹いたりしてるのか、と早合点しないでください。教養科目の「音楽」は理論や歴史を中心とした講義。つまり実技ではなく、音楽を理性的に把握する能力を養い、学生諸君が豊かな知的人生を送るための礎を築くことが主眼です。「冗談じゃない。音楽はハートだ。アタマで理解するなんて、これだから大学は理屈っぽくていけない」と反発なさるあなたはあまりにイノセント。J-Popのヒットが周到な設計のもとに生産されている例を待つまでもなく、音楽創作には聴き手を満足させ、高揚させる知的な「術」があります。もちろん傑作を生み出すのは最終的には「才能」ですが、それ以前の段階で理性的訓練によって修得できる「術」があるのです。西洋音楽はとくにそうで、フーガの作曲に「術」が要るのは言うまでもないし、旋律にドミソの和音をつけるだけでも効果的な音の配置の常識があります。「作曲」を英語では'compose'といいますね。語源はラテン語の'compono'。'com'は「一緒に」で'pono'は「置く」ですから、 語義は「一緒に置く put together」。つまり複数のパーツを正しい「術」で一緒に合わせて、見事な調和(ハーモニー)を構築するという設計にも似た営みが「作曲」なのであって、これに当たる英語が'create'ではないところに西洋音楽の本質が如実に現れています。

 「才能」と「術」が見事に融合した古今の名曲というものが、いかに巧みに'com-pose'されているか、その匠の技を知る喜びは格別。そのための西洋音楽の基本リテラシー(五線譜、音符、リズム、音程、和音、楽器など)を学んでゆくのがこのクラスです。では西洋音楽の理論は、そんなに冷徹で合理的なものなのかといいますと、これが試行錯誤と誤解の堆積みたいなところもあって、すぐれて人間臭い営みの産物。なぜ楽譜は5線なのか、なぜト音記号やヘ音記号はああいう意匠なのか、なぜ英語のB♭がドイツではBで、英語のBがドイツ語ではHなのか、そもそもなぜ♯や♭はこういう記号なのか……何も奇をてらったわけではなく、みなそれなりの理由があります。それらを得心するためには中世ヨーロッパ人の思考回路を追体験しようとする努力が必要。つまり音楽理論を学ぶこともまた、広い意味で歴史や人間を理解しようとする営みなのです。

 なるほど、それで最近では「人間理解科目」に「音楽」も置くのかとおっしゃるかもしれません。ところがどうして、「音楽」は中世ヨーロッパに大学が誕生した当初からあった最も由緒ある「学問(サイエンス)」なのです。中世の大学が卒業までに課したのは次の7科目。下級3科目(ラテン語文法、修辞学、論理学)、上級4科目(算術、音楽、幾何、天文学)。ね、「音楽」があるでしょう。でもなんだか突飛ですよね。この「音楽」こそ、実技ではなく、他の3科目と同様、自然科学系の「学問(サイエンス)」なのでした。教科書で説かれているのは古代ギリシアのピュタゴラスの音程理論。例えば弦の長さを半分にすると音はオクターヴ上がり、2/3にすると5度上がるとか。不思議ですよね。そう、ピュタゴラス派は、森羅万象の根源に数理的原理があり、星の運行も、図形も、そして音楽も、すべて数比によって秩序や調和(ハーモニー)が保たれていると考えました。この思想を受け継いだのが中世大学の上級4科目であり、「数」をキーワードにして自然界の諸現象──つまりは天地創造の神の摂理──を学ぶことこそ教養人の修めるべき高等教育だったというわけです。どうです、「音楽」は青山スタンダード科目の王道でしょう!
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