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誌上公開講座 No.51
青山スタンダード テーマ別科目キリスト教理解関連科目「聖書の中の女性たち(旧約)」

谷口 裕子
理工学部
准教授
谷口 裕子
 私が日本で神学生だった頃、女性だけをテーマに聖書の授業が成立するなど考えることさえできませんでした。丁度、神学校を卒業する頃に、フェミニスト神学や聖書学の本を英語の原書で読み「これだ!」と思った私はボストンに留学しました。日本で読んでいた『In Memory of Her』の著者の下で偶然にも学ぶことができ、ほんとうに幸運でした。しかし、日本でフェミニスト聖書学がどのように受容されるかは、私にとっては暗中模索状態で、今もそうです。なぜなら、日本人はまず、聖書物語を下敷きにしたキリスト教文化になじみが薄いからです。その上で、旧約聖書だけでも、女性の登場人物は全体の10%にも満たないのです。名前付きで登場する女性、約135名も、ほとんど重要な役割をもちません。傍流でしかない女性の物語を探るためには、まず聖書の主流である男性の物語を知っていないと、ピンとこないのです。



 1960年代より主にアメリカでフェミニスト聖書学者は、女性の姿を聖書のなかに積極的に探し始めました。そのために考古学・民族誌学・社会学・解釈学のさまざまな理論と方法を駆使し、聖書の中の女性の歴史を再構築しようと試みてきました。男性優位の視点を維持する聖書箇所は、フェミニスト聖書学者によって厳しい批判に曝されもしました。しかし、現代のフェミニスト聖書学は、多様な視点から「女性」を読み解こうとします。単純に「正しい」視点などないのです。
 この授業では初めて旧約聖書を読む学生が大半です。聖書の始めからできるだけ順を追って、代表的な女性たちの生き様を紹介していきます。学生たちは、あまりにも率直に描かれた女性の物語、家族の物語、愛憎の物語に驚き、納得しかねることもあります。信仰を養う書物とは思えないような、なまなましい物語が大半を占めます。そのためもあり、文学としての聖書という入り口から女性の物語にアプローチすることにしています。



 キルケゴールという神学者・哲学者は人間の成長段階に「美的」「倫理的」「宗教的」段階を考えました。このことは文学として聖書を読むときにも参考になります。人間のありのままの姿を描く文学は、美的・倫理的・宗教的要素を兼ね備えています。聖書はこの意味で文学なのです。フェミニスト神学は、これまで倫理的段階を得意としてきました。しかし、フェミニスト神学も宗教的段階に根ざしているのです。神は倫理的な判断を超越した仕方で、信仰者と関わることがあります。そのとき信仰者は、神の答えが見つからなくても探し続けます。問いを発することが重要なのです。



 前期に開講している相模原キャンパスでの「聖書の中の女性たち(新約)」は、新約聖書がメインであるためか、理解しやすいのですが、旧約聖書の物語はかなり複雑で深刻です。しかし、キリスト教文化の根底にある人間理解と神理解の深淵を感じ取るために旧約聖書の女性たちの物語は欠かせないと考えています。
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