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「心に残る授業」をテーマとした「2013年度Happyくらす作品コンクール」審査結果について

「心に残る授業」をテーマとした「2013年度Happyくらす作品コンクール」審査結果について

2013年10月31日
FD推進委員会
委員長 長谷川 信

学生のみなさんの講義の思い出、心に響いたクラス、自分を変えた授業、目の覚めた講義、元気の出た授業など、講義を通して得た発見や感動、体験、成長などのよい思い出を「心に残る授業」として募集した、第2回Happyくらす作品コンクールに、今回多くのご応募をいただきました。
いずれも力作揃いで審査に苦慮しましたが、下記の通り、最優秀賞1作品、優秀賞1作品、佳作6作品が選ばれました。受賞者の皆さん、おめでとうございます。

受賞者

最優秀賞 大学院総合文化政策学研究科 2年 塩田 伸一さん
優秀賞 文学部比較芸術学科 2年 鈴木 梨歩さん
佳作 文学部日本文学科 3年 田中 優衣さん
佳作 文学部日本文学科 3年 福岡 彩さん
佳作 経営学部経営学科 1年 張 美善さん
佳作 経営学部経営学科 4年 中澤 修平さん
佳作 総合文化政策学部総合文化政策学科 3年 島田 大地さん
佳作 専門職大学院国際マネジメント研究科 1Flex-A 森 素子さん

最優秀賞作品紹介

心に残る授業
大学院総合文化政策学研究科 2年 塩田 伸一
教授という呼称は、物事を「教え」「授ける」ということから来ている。どの辞書を見ても、だいたいそんなふうに書かれている。しかし、である。そもそも他人に物事を教えたり、授けたりすることが可能なのだろうか。自分の考えていることを他人にきちんと理解してもらうことが、本当に可能なのか。僕はそういう疑問をかなり前から持っていた。そして、さらに言えば、先生と呼ばれる職業もかなり胡散臭い部類の生業なのではないかという疑いを持っていた。

英語の歴史には以前から興味を持っていたのだが、もともと工学系なので、なかなか学ぶ機会がなかった。ある新学期に英米文学科の開講科目に「英語史」を見つけた。ちょっと話でも聞いてみるかという、軽い気持ちで初回の講義に顔を出したのが、山内一芳先生の授業だった。

まず、「何か変な先生だな・・・ 」というのが第一印象。何が変なのかと言うと、ものすごく楽しそうに話されるのである。英語史という科目は、英語の起源にさかのぼり、発音や単語や文法がどのように現在の形になったのかを記述する体系である。あるときは言葉と音の問題を扱い、またあるときはイングランドを含むヨーロッパ大陸における民族の興亡について考察する。長大な時間と広範な地域にまたがる話であり、効率よく単位だけ取ることを考えれば、まずやめた方が いい科目の筆頭である。先生は、履修に於けるそういう学生のずる賢い選択眼を理解した上で、それでもいかにも楽しそうに話してくれるのだ。話の内容が古英語の文法などで難解すぎてついていけなくても、もうちょっと我慢していれば、面白い発見があるのではないかと思わせる話し方なのである。自分の好きなことを人に話すのは楽しい。そういう楽しそうな話は、聞いているひとを深いところに引き込んでゆく。その時、情報のやりとり以上に、その楽しげな態度が感染していく。山内先生の講義は英語の歴史の面白さを伝えるのに強力な感染力を持っていた。そしてその面白さの根源には「発見」があった。

世の中には素晴らしく賢い人たちがいて、たいていの事柄については自分の頭で考えなくても、代わりに目の覚めるような魅力的なアイデアが用意されている。それに乗っかっているほうが楽だ。学生に限らず、効率優先の社会では、知らず知らずにこの潮流に飲み込まれがちだ。しかし、英語の歴史について、いかにも楽しそうに語る「山内節」を聞いていると、何となく自分で考えた方が面白そうだということに気がついてくる。些細なことでもいいから、まず自分で発見すること。その驚きと感動を、自らの経験を紹介しながら楽しそうに、あるときは授業の残り時間を忘れてしまいながら、山内先生はしゃべり続ける。

今になって思い返せば、英語史の細かいところははっきり言って忘れている。試験前にあれだけ一所懸命に詰め込んだものは遠い記憶の彼方に沈んでしまった。鮮明に蘇ってくるのは山内先生の楽しそうな笑顔と、豊富な話題で時間がなくなり、「え、あと10分しかないの?マズイなあ・・・」といういつものセリフだけである。
山内先生の講義を経験して、かつての僕が持っていた教える仕事に対しての疑問は氷解した。教師の本質とは、その教授内容を超えて、問題に対しての知的態度を見せつけることにある。具体的な題材から出発するとしても、最終的には知的な生き方を示すことに帰結するのだ。好奇心を持って対象に臨み、そこに訪れる新しい発見を楽しむという態度。ひとの歩いたところを歩くのではなく、自分の道は自分で発見するのだという態度。そのような態度を生徒の前で表現すること。教えるとはそういうことなのだ。
子供は父親の背中を見て学ぶと言われる。 先生と生徒の師弟関係は、擬似的な親子関係でもある。自分が理想的な「息子」であったかどうかは甚だ心もとないのだが、山内先生の背中から、自分で発見する面白さをしっかり学び取ったという点では、他の息子たちには負けない自信がある。

先生は本年度をもって青山学院での教育からお離れになる。来年から青山で山内節が聞けなくなるのかと思うと、非常に残念ではある。だが、次は自分たちの番かもしれないとも思う。先生に教えて頂いた発見する楽しさを、次の世代に伝える責任を感じている。いつの日か、そういう背中で語れる親父になりたいとの思いを支えに、日々の研鑽を積んでいきたい。