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Research 07.タイ北部におけるキリスト教伝播の一要因

本研究は、タイにおけるキリスト教の影響を「信教の自由」に焦点を当てて調査したものです。特に、信教の自由から始まる人権の法制化にキリスト教がどのように関わったのかを研究しており、日本が欧米から受けた同様の現象がタイでも起こっていることを実証しています。

研究の目的

仏教国であるタイはキリスト教人口が日本同様とても少ない国です。図の地図を見るとわかりますが 、現在バンコクで1パーセント、その他の地域では0.1パーセント以下です。ところが、タイ北部においては10パーセントを超えています。この数値は日本のキリスト教人口を超えています。なぜタイ北部にキリスト教人口が多いのでしょうか。その要因を探るのが本研究の目的です。

研究の内容

タイ北部においてキリスト教人口の割合を多く占めているのは山岳地帯に点在する山村共同体です。そこでは共同体全体がキリスト教信仰で成立しています。村の中心には教会が建てられ、様々な生活文化行事がキリスト教の儀式で行われています。近年、海外宣教団体が彼らの存在を知り、教会建築や道路等のインフラ整備を応援しています。その関係の中で、山岳民族とチャンマイ等のタイ人キリスト教会はルーツも歴史も異なることが分かってきました。山岳地帯の人々はいわゆるタイ人ではありません。他の諸民族で中国やラオス、ビルマから渡ってきた人々です。ある村の長に尋ねると、彼らの祖先が中国から渡ってきたと言いました。その理由を尋ねると、中国でキリスト教信仰が弾圧されたので、村ごと逃げてきたということでした。残念ながら、これらに歴史的文献資料がなく、その多くが口述歴史に拠っており、その歴史の跡づけが今後の課題となっています。

タイ北部宣教の開拓者ダニエル・マックギルバリー

タイ北部宣教の開拓者ダニエル・マックギルバリー

一方、チェンマイ等のタイ北部にキリスト教人口が多い要因の一つは、タイ北部宣教の開拓者ダニエル・マックギルバリー(写真)の功績が大きいと考えられています。けれども、早い段階で宣教が開始されたバンコクや他の地域と割合の差が生じる原因が不明でした。

宗教寛容令

宗教寛容令

今回、その要因となる貴重な資料を発見しました。それが、これまで忘れられていた信教の自由に関するラーマ5世の勅書『宗教寛容令』の存在です(写真参照)。その前文にはタイ北部でのキリスト教弾圧に対する宣教師の告訴が発布の要因だと記してあります。つまり、信教の自由を保証する『宗教寛容令』の成立経緯にマックギルバリーによる功績があることが記されており、北部宣教を成功に導いた決定的な証拠なのです。

タイ人キリスト教徒 殉教の様子

タイ人キリスト教徒 殉教の様子

『宗教寛容令』がバンコク国王の勅書という形式で発布されるに至った経緯にはタイ北部での二つの弾圧事件がありました。弾圧の発端は一八六九年、最初の回心者が礼拝へ参加するため、雇い主に日曜日の労働を断ったことにありました。それは当時の社会秩序を揺るがす行動でした。特に、この信仰から生まれた行動は、王に勝るものへの忠誠を意味していたので、北部の国王にとっては見逃すことのできないことだったのです。これをきっかけに、二人のタイ人キリスト教徒が殉教しました(絵参照)。もう一つは、タイで最初のキリスト教徒同士の結婚式で起こりました。当時の慣習では、家長へ「精霊料(spirit fee)」を捧げることで結婚が認められていました。その習わしはもともと精霊への供え物として納められていましたが、当時その行為により結婚を合法として認めていました。けれども、それは成文化されていない社会の仕来りであり、極めて宗教的要素の強い行為であったため、キリスト教徒の家族はそれを偶像礼拝と受け止めたのです。しかし、その金銭は服属儀礼として君主に納めいたため、大きな問題に発展しました。

マックギルバリーはこの問題に対して政治的手腕を用いて解決に乗り出しました。彼はこの問題をバンコク王ラーマ五世に訴えました。ラーマ五世はこれを王の職務を補佐するチェンマイ担当の長官に戻し、彼にこの件に関して勅令を出す権限を与えました。宣教師たちと親しかった長官はこの勅令をキリスト教信者の結婚に限定するのではなく、「一般的な宗教的寛容の主張」のために作成することを提案しました。起草された文章はアメリカ領事館を通して国王に届けられ、一八七八年十月八日『宗教寛容令』が発布されたのです。

寛容令には信仰する宗教が理由で市民生活に支障をきたすことが起こらないことが宣言されました。それは「いかなる宗教であれ、それが真理であると信じたならば、誰であれどんな制約も受けることなく信じることが許される」という文言にあるように、またマックギルバリーが自伝に残した資料によれば「この宣言は……宗教的信仰と実践に関する全てのことについて、自らの良心の指示に従うことが許されていることを保障する」とあるように、信教の自由を保障しました。ここで宣言されている『宗教寛容令』は「いかなる宗教」とありますが、特にキリスト教を名指しして、「より具体的には、誰であれキリスト教信仰を信じたいと望むならば、彼らは自らの選択に従って自由に信奉することが許されている」と、キリスト教を保護する目的が明確に出ていました。

『宗教寛容令』によりタイ北部では比較的自由に宣教が可能となりました。事実、チェンマイには多くのキリスト教会が存在し、現在もチェンマイ第一教会には礼拝堂からあふれるほどの人々が礼拝に参加しています。また、パヤップ大学には神学部があり、タイで最も多いキリスト教蔵書と資料を保管しているのです。

今回発見に至った『宗教寛容令』ですが、問いもたくさんあります。その最も大きな問いは、なぜこの重要資料が忘れ去られていたのかということです。この問題をめぐって、さらに探求を進めています。

なお、今回発見した『宗教寛容令』の全文翻訳と詳しい研究は、総合研究所研究プロジェクトの助成を受けて出版した『贖罪信仰の社会的影響——旧約聖書から現代人権法制化まで』(教文館、2019年)の中で報告しています。

総合文化政策学部
森島 豊 准教授