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【#01】夜10時の上司からのチャット、返さなきゃダメ?「つながらない権利」とは【vol.1 前編】 ~青学Podcast「ギモンから、ガクモンへ。」~
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暮らしの「ギモン」から、その先にある最先端の「ガクモン」をのぞきに行く、青山学院大学公式ポッドキャスト。
いま話題のテーマを入口に、青山学院大学の研究者が社会の変化を読み解き、私たちの暮らしや未来とのつながりをわかりやすく解説します。
難しそうな研究も、聴き終わるころには「なるほど」に変わる。 学問の面白さを身近に届ける番組です。
#01 夜10時の上司からのチャット、返さなきゃダメ?「つながらない権利」とは【vol.1 前編】
「夜10時、上司からチャットが届いた。これ、今返さなきゃダメなのかな」。
リモートワークが広がり、そして「出社回帰」が進んだいまも、私たちは職場や組織と、いつでもどこでもつながり続けています。仕事とプライベートの境界は、かつてないほど曖昧になりました。夜のチャット、休日のメール。多くの人が一度はモヤッとした経験を持つのではないでしょうか。
この番組「青学Podcast『ギモンから、ガクモンへ。』」は、暮らしの"気になる"を入口に、その先にある最先端の研究をのぞきに行く番組です。初回のテーマは「働き方」。個人の悩みに見えるこのモヤモヤを、労働法研究の第一人者・細川良先生が「社会の仕組みの問題」として読み解きます。キーワードは、フランス生まれの「つながらない権利」です。
【ゲスト】
細川良教授(青山学院大学 法学部長/労働法)
早稲田大学大学院 法学研究科 博士後期課程博士研究指導終了退学。早稲田大学 修士(法学)。独立行政法人労働政策研究・研修機構副主任研究員を経て、2019年より青山学院大学法学部教授。2024年4月より現職。埼玉労働局紛争調整委員。専門は労働法、「つながらない権利」研究の日本の第一人者。
主著に『ファーストステップ労働法』(共著/エイデル研究所2020年)、『解雇ルールと紛争解決・10か国の国際比較』(共著/労働政策研究・研修機構2017年)、「ICTが「労働時間」に突き付ける課題ー「つながらない権利」は解決の処方箋となるか?」日本労働研究雑誌709号(2019年)、「在宅テレワークをめぐる法的課題」労働判例1288号(2023年)等がある。
【進行】
池畑修平教授(青山学院大学 地球社会共生学部)
「夜のチャット問題」の本質は、個人の弱さではなく社会の仕組み
法律家が見る、3つのパターン
夜、上司からチャットが来て「これ、返さなきゃいけないのかな」と迷う。細川先生はこの身近な悩みを、まず法律家の視点から整理します。
1つ目は、「必ず返信しろ」と明確に指示された場合。これは「その時間は労働時間にあたるのか」という論点になります。2つ目は、返事をしなかったことで後日ひどく叱責されたようなケース。こちらは「パワーハラスメントではないか」という問題につながります。
そして、多くの人が本当にモヤモヤするのは3つ目のパターンです。「返信しろとは書かれていない。でも、返さないわけにもいかない」。返すか返さないかは自由なはずなのに、結局は返さざるを得ない空気がある。
「これはやはり、社会の仕組みの問題なのではないか。そういう問題意識を持っています」と細川先生は語ります。断れないのは個人が弱いからではなく、断れなくさせている構造がある。ここに、この問題の本質があります。
「そう言い切れる」背景にある、フランス労働法の研究
なぜ「社会の仕組みの問題」だと言い切れるのか。その根拠は、細川先生自身の研究にあります。
先生の専門は労働法、なかでもフランスの労働法です。フランスでは2000年代初頭、インターネットやメールが普及し始めた頃から、「テクノロジーの発展によって仕事とプライベートの境界が曖昧になるのではないか」という視点の研究が積み重ねられてきました。その流れの延長線上に登場したのが、「つながらない権利」というアプローチだと言います。
日本ではまだ耳慣れないこの考え方を、細川先生は早くから紹介してきました。個人の心がけの問題に見えていたものが、実は国境を越えた社会構造の変化だと分かる、ここに研究者ならではの視点が光ります。
「つながらない権利」とは?法律にまでなった"当たり前"
世界で初めて法制化したフランス
「つながらない権利(droit à la déconnexion/ドロワ・ア・ラ・デコネクシオン)」とは、勤務時間外に仕事から切り離されていられる権利のことです。
興味深いのは、フランスではもともと、時間外の連絡に対応する義務は労働者にはないと、最高裁に相当する裁判所が判断していた点です。つまり法律上は、すでに「対応しなくてよい」とされていた。にもかかわらず、フランスは2016年、この権利を改めて法律として明文化しました。国として「つながらない権利」を法律に定めたのは、世界で初めてのことです(※1)。
法的な義務がないと確認されていたのに、なぜわざわざ法律にしたのか。この一見不思議な流れにこそ、問題の根深さが表れています。
「新しい権利」ではなく、「取り戻すべき権利」
ここで押さえておきたいのは、「つながらない権利」は決して特別な新しい権利ではない、ということです。
日本でも、最高裁の判例で「休憩時間とは、労働から完全に解放されていなければならない」と示されています。休むべき時間にはきちんと休んでよい、本来は当たり前のことです。
その当たり前が、いつの間にか行使しにくくなった。だからこそ、改めて「権利」として言葉にし、守る必要が出てきた。「つながらない権利」とは、失われつつある当たり前を取り戻すための言葉なのです。
昭和と現代の働き方のギャップが生んだ問題
「職場を出れば解放される」時代があった
では、なぜこのタイミングで問題になっているのでしょうか。細川先生は「昔と今のギャップ」という切り口で語ります。
「昭和の頃は、企業戦士がバリバリ働いているイメージを持たれがちです」と先生。実際、先生の父親も会社員で、土曜日も普通に働き、時には仕事を家に持ち帰っていたと言います。しかし、休日に会社から連絡が来ることは、ほとんどありませんでした。
つまり、長時間労働ではあっても、職場を一歩出れば仕事から解放される。家は少なくとも気が休まる空間だった。それが当時の働き方でした。
技術とサービス業が変えた「境界」
この構造を崩したのが、2つの変化です。
ひとつは、言うまでもなくテクノロジーの発達。メールやチャットによって、いつでもどこでも連絡できるようになりました。もうひとつは、産業構造の変化です。工場の製造業は機械が動くスケジュールに従って働きますが、サービス業(第三次産業)は、お客様の求めがある限り対応が求められます。時間で区切りにくく、「かけた時間」より「出した成果」で評価される仕事が増えた。その結果、「勤務時間外は仕事をしない」という前提から外れた働き方が広がっていきました。
「昔は職場を出れば仕事から解放された。それが今は、職場を出ても解放されない。ここが最大の問題だと思っています」と細川先生は指摘します。
便利さの裏に潜む"副作用"。管理職たちの本音
テクノロジーによる「いつでもつながれる」状態は、企業にとって効率化の武器です。しかし、それは働く側にとって副作用も大きい。この両面性を、細川先生はフランスの調査結果で裏付けます。
10年ほど前、フランスのある調査会社が管理職層にアンケートを行いました。「勤務時間外でもメール等でつながれるようになったこと」について、6〜7割が「非常に便利になった」と回答しています。ところが同じ調査で、同じ管理職たちが「それが私生活に悪影響を及ぼしている」とも答えていたのです。
便利だと感じながら、私生活が削られている自覚もある。この矛盾こそが、問題の面白さであり、難しさでもあります。便利さと自由な時間のバランスは、いまだ解けていない宿題なのです。
日本はどこまで来たのか
法律は「対応義務なし」と認めている
では、日本の状況はどうでしょうか。
前提として、日本でもフランスと同じく、勤務時間外に必ずしも業務対応をしなくてよいことは、法的に確認されています。前述の最高裁判例でも、休憩は労働から完全に解放されていなければならないと示されています。しかしそれはあくまで「法的な義務」の話であり、現実にはフランスと同じく「いつでもどこでも仕事と接していなければならない」状態になっている、ここに法と現実の大きなギャップがあります。
「働き方改革」が空気を変えた
流れが変わる大きなきっかけとなったのが、2018年の働き方改革関連法です。実務の現場でも、2015年頃から日本企業でも自主的に「つながらない権利」に取り組む例が見られるようになってきたと言います。
ここで細川先生は、意外な事実を明かします。働き方改革は、政府の説明では「労働者保護のため」ではなく、あくまで「経済政策」として立てられたものだ、というのです。日本の経済を良くするには生産性を上げる必要があり、そのためには働き方改革が必要だ、という文脈です。
疲弊しきった状態で働くことは、生産性の観点からも問題がある。この論理が社会に浸透したことが、大きな転換点になりました。国際調査で日本の生産性が常に低いとされてきた背景に、実は「オンとオフの切り替えの下手さ」があったのかもしれない、番組では、そんな気づきも共有されました。
「上司より先に帰れない」文化の壁
欧米では、バカンスに象徴されるように「休むときはしっかり休み、働くときは集中する」考え方が根強くあります。一方で日本は、良くも悪くも長い時間をかけ、時に「ずるずると」仕事をしてしまう部分があった、と細川先生は振り返ります。
進行役の池畑先生も、若手時代に「上司がまだオフィスに残っているのに、自分だけ先に帰るのは心理的に難しかった」経験を語ります。この"周りの目"こそ、法律だけでは解けない問題の核心です。
権利を「絵に描いた餅」にしないために
啓発とルールづくり、両輪で
法的には対応義務がないはずなのに、対応しないわけにはいかない。この状況は、もはや法制度だけの問題ではありません。だからこそ細川先生は、2つの取り組みが必要だと考えます。
ひとつは、「休日や勤務時間外にはつながらなくて良い」という意識を啓発していくこと。もうひとつは、それを実現できるようにする具体的な仕組みを作っていくことです。実際、フランスで法律が制定された際のレポートでも、仕組みを導入するだけでなく、働く人・企業双方の意識を変えることの重要性が指摘されていました。すでに法制度を持つフランスをはじめ、各国のルールを参照しながら、日本でも仕組みづくりを進めていくことが考えられます。
研究者自身の意識も、変わった
最後に印象的だったのは、細川先生自身の告白です。「恥ずかしながら、私も勤務時間外につい仕事のメールを見てしまうタイプです」。
それでも、「つながらない権利」という考え方を知ったことで、変化はありました。学部長として管理職をつとめる立場にある今、職員にメールを送るとき「こんな時間に送って良いのか」を気にするようになったと言います。研究が、自らの行動を変えた。権利の実現は、こうした一人ひとりの意識の積み重ねから始まるのかもしれません。
まとめ
夜のチャットに感じるモヤモヤは、「自分が断れないだけ」という個人の弱さの問題ではなく、テクノロジーとサービス業の拡大によって「仕事とプライベートの境界」が溶けてしまった、社会の構造変化の問題でした。
その処方箋として世界が見出したのが、勤務時間外に仕事から切り離されていられる「つながらない権利」。フランスが世界で初めて法制化したこの権利は、決して新しいものではなく、「休むときはきちんと休む」という本来当たり前のことを取り戻すための言葉です。
ただし、権利があること と、みんながそれを行使できること は違います。「上司より先に帰れない」空気のなかで、権利を絵に描いた餅にしないためには、法律や仕組みだけでなく、働く人・企業双方の意識を変える啓発が欠かせません。
では、その実現の道筋を、具体的にどう描けばよいのか。後編では、細川先生とともに「つながらない権利」を社会にどう実装していくのかを、海外の事例も交えながら掘り下げていきます。
※1 フランスは2016年の労働法改正(通称「エル・コムリ法」)により、「つながらない権利(droit à la déconnexion)」を世界で初めて法律に明記した。企業に対し、労使交渉を通じて時間外のデジタル接続に関するルールを整備することを求めている。
※本記事は、青山学院大学 細川良 先生へのインタビュー(前編/後編)をもとに、専門用語には補足も加えながら記事化したものです。