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NEWS(社会連携)

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2024.05.14

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静岡県河津町と連携した「カーネーション企画」で、青山・相模原キャンパスに約1,000本のカーネーションを設置 ~「母の日」を初めて日本に紹介し定着させた青山学院~

2024年5月10日(金)、青山・相模原の両キャンパスにて、「母の日」を初めて日本に紹介し定着させた本学と、カーネーションの産地であり、本学と包括連携協定を締結している静岡県河津町が連携して、学生を対象とした「カーネーション企画」を開催しました。青山・相模原の両キャンパスに、合わせて約1000本の静岡県河津町産のカーネーションを設置しました。集まった多くの学生たちがそれぞれの大切な方のために、色とりどりのカーネーションを摘み取りました。メッセージカードも配布し、学生たちが大切な方への感謝の気持ちを綴りました。

同日、本学の幼稚園、初等部、中等部、高等部にもカーネーションを提供し、各設置学校でも園児・児童・生徒にプレゼントしました。本学の連携事業をきっかけに、青山学院全体で大切な人に想いを伝える日となりました。

本学では、今後も自治体・企業等と連携し、学生にとって良い機会を提供できるよう努めてまいります。

青山学院と「母の日」

現在、世界中にひろく普及している5月第2日曜日の「母の日」の起源は、米国ウエストバージニア州にあるメソジスト教会で行われた1907(明治40)年5月12日の追悼会とされています。この日、アン・ジャービスの娘アンナが、母をたたえて参列者にカーネーションを贈りました。その後、アンナは、母の日を公的な記念日とする運動を始めます。
この運動は日本にも明治末年に伝えられました。青山学院の教師ギデオン・F・ドレーパーの夫人マイラは、アンナの提案を受け取ります。マイラは、青山学院で神学部長を務めたベンジャミン・チャペルの夫人マリー(青山学院の前身の一つ海岸女学校の校長を務めた)と協力して「母の日」の普及活動を行いました。その運動は、青山女学院長を務めたファニー(青山学院教師ロバート・P・アレキサンダーの夫人)に引き継がれます。
母の日は、戦後、日本にも定着しましたが、その普及には、3人の青山学院にゆかりの深い女性宣教師の努力がありました。青山学院では、初等部などの設置学校で、毎年母の日礼拝が行われ、近年では、街灯フラッグを掲げるなどの行事を実施しています。

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