TOP

THE PAGE YOU ARE VIEWING

「社会」は誰のものか -らいてう、ウルフ、ボーヴォワールの問いかけ

「社会」は誰のものか -らいてう、ウルフ、ボーヴォワールの問いかけ

第2回 2018/5/19(土)

青山学院女子短期大学 現代教養学科准教授 辻 吉祥

時間ができたら、いちど古典をゆっくり読んでみたい。そんな誰しもがいだく思いをかなえつつ、最新の知見も採りいれながら、平塚らいてう(1886‐1971年)が25歳の時に記した「元始、女性は太陽であった」をいまあらためて、読み直してみたいと思います。

この宣言文はおおよそ100年ほど前の1911年(明治44年)9月、女性のみの手ではじめて作られた雑誌『青鞜』に掲げられました。平塚は、多様な人間をたった二種類に分けてあらゆる場面に適用しようとする考え方とは異なる思考の道筋を、この宣言とともに歩み始めようとしました。

同時代、この社会はどんな状況にあったのでしょうか。どんな見方が「あたりまえ」だったのでしょうか。大正期の新聞資料、海外の事例なども(絵入りで)紹介しながら、この文章が書かれた理由と背景を深く読み込む方途を示してみたいと思います。

もちろん、少しだけ年上のイングランドのヴァージニア・ウルフ(1882‐1941年)や、22年後に生まれたフランスのシモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908‐1986年)の思索の跡も時間の中で比較が出来れば、思考のパースペクティヴが広がるはずです。

人間の真の多様性の認識は、思考の「実感主義」を超えることでかなえられる――「天動説から地動説へ」の転換に比べてもよいような認識の転換の端緒をつくった文書のひとつを読み解くことで、これまでにない「文学と社会」との出会いのほうへと眼差しを向けなおす契機になればと思います。

文学はつねに時代の先端の感覚をとらえるもの、その新しい感受性のありかを、閉塞する社会を尻目に、みなさんとともに確認してみたいと思います。

プロフィール

青山学院女子短期大学 現代教養学科准教授
辻 吉祥 [Yoshihiro Tsuji]


早稲田大学大学院 文学研究科博士後期課程を終え、2010年、博士(文学)早稲田大学。
早稲田大学文学学術院助手を経て、現職。研究分野は近代日本文学。
著書(分担執筆)に『生誕120年 芥川龍之介』『芸術は何を超えていくのか』『Visual Devices 視覚装置――見ることを見る』展図録、論文に「母の時間の優生学――母性保護論争における平塚らいてうの「歴史」の超克」などがある。