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日本近代文学と食・ジェンダー・ナショナリズム -肉食と菜食、グルメ言説とジェンダー、コメと日本人

青山学院女子短期大学<br>現代教養学科教授 鈴木 直子 [Naoko Suzuki]

青山学院女子短期大学
現代教養学科教授 鈴木 直子 [Naoko Suzuki]

日本近代文学と食・ジェンダー・ナショナリズム -肉食と菜食、グルメ言説とジェンダー、コメと日本人

第5回 2018/6/9(土)

文学と食、といえば、池波正太郎や谷崎潤一郎が思い浮かぶかもしれませんが、この講座ではその対極に、映画『ショコラ』(2000年、米)における女性・魔女・女性同士の繋がりといったテーマをイメージしながら、日本近代における男性中心の食言説の歴史と、比較的最近の新しい食の語りの特徴を、ご紹介できたらと思っています。

まずは肉食と菜食です。日本でもヴィーガン食を見かけるようになりましたが、近代化と富国強兵に結びついた明治以降の肉食に疑問を呈した人物に宮沢賢治がいます。よく知られた『注文の多い料理店』でも賢治は、食べる(=狩る)者と食べられる者の位置を逆転させることで、食べるという行為がはらむ暴力性を示唆しています。また食べることはセクシュアリティとも深く関係しています。食通としても知られる谷崎潤一郎に『美食倶楽部』という小説があります。暗闇の中で女性の手になぶられながら、その手から、あるいはその手自体を食べる、というエロティックな表現は、マゾヒズムや「支那趣味」(大正期にあった中国文化の流行)と密接に関係しており、食がジェンダーとナショナリズムという政治性の交差点にあることが良くわかります。同じことは「コメ」にもいえます。マクロビと略されて流行中の玄米食主義は明治期の石塚左玄に端を発しますが、桜沢如一に見られるように、戦時下には国粋主義と結びつきます。玄米食主義者だった平塚らいてうも、コメ文化の優越性という枠組から逃れることができませんでした。

誰が何を食べるのか。誰が作り、誰がテーブルに就くのか。調理するとはどういうことか。食べ物はどこから来るのか。食と排除・差別・汚染といった問題を意識しながらも、人間は食べることをやめることはできません。そこで、食の暴力性や政治性を引き受けつつも、食をめぐる新たな表現を作り出そうとしている現代文学の可能性を探ってみたいと思います。

プロフィール

青山学院女子短期大学 現代教養学科教授
鈴木 直子 [Naoko Suzuki]


松本深志高校卒業、東京大学文学部卒業、同大学院人文社会系研究科博士課程修了(博士(文学))。藤女子大学助教授を経て、現在青山学院女子短期大学教授。専門は日本近現代文学・ジェンダー研究。
共著『南島へ南島から 島尾敏雄研究』(和泉書院、2005年、共著)、翻訳(マイケル・モラスキー著)『占領の記憶/記憶の占領』(青土社、2006年)。「大城立裕におけるアイデンティティ・言語 二つの「カクテル・パーティー」をめぐって」(『総合文化研究所報』2013年12月)、「高度成長と〈女流作家〉 林真理子『女文士』における女のエクリチュール」(『日本文学』2010年11月)、「平塚らいてうと玄米食 食・身体・ナショナリズム」(『思想』2017年6月)など。