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黒石 いずみ [KUROISHI Izumi]

黒石 いずみ [KUROISHI Izumi]

第5回 2022/7/9(土)
総合文化政策学部 客員教授
黒石 いずみ [KUROISHI Izumi]

第二次世界大戦後の破壊された大都市圏での住宅不足は、被災民の生活環境の劣悪化による生存の問題に及ぶ直後の状況、そして戦後復興のための労働者受け入れが困難になる状況といくつかのプロセスを経て解決へと向かいますが、それはとりも直さず、都市圏の復興と再編における住宅のあり方が決定される過程でもありました。都市史の研究者である石田頼房は、日本の都市政策が住宅政策と十分に連携していないことを批判していますが、それは住宅計画史研究者の大本圭が説くように、占領軍の政策と日本の戦時期までに蓄積された都市政策との関係、そして戦後の農村社会から大量に移動して都市の労働者層を形成した人々に対する理解の不足も原因だったと思われます。さらに考えられることは、被災した地域で新たな開発を行うときにどのような地域が選択され、周辺の地域との関係がどのように図られたのかが問題だったのではないでしょうか?
いわゆる戦後の建築政策の3つの柱、1950 年の住宅金融公庫の発足、1951年の公営住宅法、そして1955年の住宅公団の発足で、50年代から70年代にかけて日本各地の都市部や郊外部の住宅地域形成におけるモデルとして、住宅公団の公共住宅は大きな役割を果たしました。ではその公共住宅の計画に、上記の問題はどのように反映され解決された、あるいはされなかったのでしょうか? それはなぜでしょうか?
本講義では、まず戦後の新しい住宅像がどのように構想され、地域から移動する人々の生活環境を形成したかを考えます。そのために、戦後直後の占領軍による占領政策と日本の住宅復興政策との関係について、占領軍による人々の地域や住まいの生活環境を改善し、制度の民主化と生産の仕組みの合理化を行うことがいかに復興にとって重要かを説く歴史的資料を取り上げて説明します。また、冷戦期に入ってからの、日本の復興を支援するための復興博覧会などの事業の影響と問題について紹介します。そして日本の公営住宅や公共住宅全般の指導的な立場にあった住宅公団で、どのように住宅の典型像と各地の地域的特徴を持った住宅像との関係、さらに戦後目標とされた住宅像が議論されたかを、学会の資料と当時の住宅計画学に影響をもった西山夘三の資料によって説明します。
次に、被災した都市部やその郊外に住宅地域がどのような論理で開発され、地域社会との関係が計画されたかを考えます。例えば渋谷や青山の地域では、軍に関連する施設の場所が公営住宅の敷地として転用されましたが、そこではどのような敷地計画が行われ、どのような住民がそこに居住して、周辺地域との関係が構想されていたのか?まだまだ調査は十分ではありませんが、都市の生活環境に潜む政策的な意図と多様な住民の意図の動的な関係を議論したいと思います。

プロフィール

青山学院大学総合文化政策学部 客員教授
黒石 いずみ [KUROISHI Izumi]


東京大学総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は映画研究、表象文化論。
主な著書に『LAフード・ダイアリー』(講談社、2020年)、『食べたくなる本』(みすず書房、2019年)、『ハッピーアワー論』(羽鳥書店、2018年)、『サスペンス映画史』(みすず書房、2012年)。