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腹の虫をめぐる日台関係史 - 戦後日本の国際医療協力と台湾

青山学院大学<br>非常勤講師 井上 弘樹 [Hiroki Inoue]

青山学院大学
非常勤講師 井上 弘樹 [Hiroki Inoue]

腹の虫をめぐる日台関係史 - 戦後日本の国際医療協力と台湾

第3回 2018/11/24(土)

大日本帝国の崩壊後の日本にとって、かつての植民地であり、戦争の相手国でもあった台湾/中華民国との関係を再び築くことは、地域秩序の再編に関わる重要な課題でした。そこで、本講義では、医療分野において、戦後の日本と台湾が、なぜ・どのように関係を再構築したのかを見ていきます。具体的には、回虫症という寄生虫症の対策をめぐる日本と台湾の医療協力の歴史をとりあげます。
(便宜的に「戦後」という言葉を使うならば)戦後の日本は「寄生虫天国」と呼ばれたほど、回虫症などの寄生虫症が蔓延していました。1949年には寄生虫卵保有率が73%を記録しており、ほぼ全ての住民が何らかの寄生虫症に感染しているという地域も稀ではありませんでした。日本の小・中学校に通った方々の中には、検便(糞便検査)を受けるために、自分の便を学校に持参した経験や、場合によっては駆虫薬を服用した経験がある方もおられるでしょう。
その後、日本の寄生虫卵保有率は、1960年代半ばに10%以下に、1970年代には5%以下に低下しました。今日の日本では回虫症などは既に抑制されています。寄生虫卵保有率が低下した要因としては、トイレの整備や衛生知識の普及などに加え、日本の場合は、学校保健を通じた集団検査(検便)と集団駆虫が大きな役割を果たしたことが、一つの特徴でした。
一方、日本国内の寄生虫症が抑制されていく中で、1960年代以降、日本で寄生虫症対策を推進していた人々や日本政府は、学校保健を通じた集団検査と集団駆虫という日本の寄生虫症対策の技術や知識を海外に展開し始めました。そして、その対象地域の一つが台湾でした。当時の台湾でも寄生虫症が蔓延していたのです。
 では、日本の寄生虫症対策の経験は、なぜ・どのように台湾にもたらされたのでしょうか。また、日本の寄生虫症対策の海外展開は、何をもたらしたのでしょうか。本講義で見ていくように、これらは、日本の植民地統治という過去や台湾の脱植民地化、あるいはアジアの冷戦や日本のアジアへの再進出といった当時の時代状況と密接に関わっていました。
 本講義では、寄生虫症対策に関する具体的な歴史資料をご紹介しながら、戦後の日本と台湾が関係を再構築した歴史を振り返るとともに、政治や経済に限らない多様な地域間の結びつきについても考えたいと思います。

プロフィール

青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(歴史学)。現在、青山学院大学非常勤講師、川村学園女子大学非常勤講師、首都大学東京非常勤講師。専門分野は、医療社会史。
主な論文:「離島社会と寄生虫症―20世紀後半の馬祖列島における腸管寄生虫症の蔓延・対策・抑制の歴史」(『社会経済史学』84-3、2018年)、「植民地統治下の台湾における保健衛生調査―1920年代から1930年代の医療・衛生政策と地域社会」(『東洋学報』99-1、2017年)、「台湾における寄生虫症対策と日本の医療協力(1960年代から1970年代)」(『史学雑誌』125-8、2016年)など。