TOP
福嶋 裕子 [FUKUSHIMA Yuko]

福嶋 裕子 [FUKUSHIMA Yuko]

第4回 2022/10/15(土)
理工学部 教授
福嶋 裕子 [FUKUSHIMA Yuko]

フェミニスト聖書解釈は、1960年代に始まった第二波フェミニズムの影響を受けて当時の聖書学者たちの中から新しい視点や解釈の仕方が提出され発展してきました。フェミニストの聖書学またフェミニスト神学が一様に確立された方法論や視点や目的を共有しているわけではありません。しかし女(フェミナ)という概念に疑問を投げかけるという点では一致しています。この講座では、理論と具体例の両面からフェミニスト聖書解釈について理解を深めていきます。
第一にフェミニズムについて概略的な理解を得ます。フェミニズムの多様な見解を整理するのは不可能に近いほどですが、その方向性から大きく四つに分けることができるでしょう。リベラル•フェミニズム、文化的フェミニズム、ラディカル•フェミニズム、社会主義的フェミニズムです。
第二に、1980年代から常にフェミニスト聖書学を牽引してきたエリザベス•シュスラ•フィオレンツァのフェミニスト聖書解釈が、他の聖書解釈とどのような点で異なるのかを「解釈のパラダイム」という点から理解していきます。聖書解釈には四つのパラダイム(教義的、歴史的、文化的、修辞的)があり、それらは互いに対立することがあります。ですが実際には解釈者は、複数のパラダイムの方法論を併用することがあります。フェミニスト聖書解釈は、基本的に修辞的パラダイムに属していますが、歴史的パラダイムの方法論を総合的に用いることがあります。
第三に、マグダラのマリアを具体例として取り上げます。中世に集大成された『黄金伝説』ではマグダラのマリアは「悔悛した娼婦」とみなされています。しかしこの伝説は、福音書の複数の物語を合成することで生じてきたにすぎません。マグダラのマリアと混同された七つの物語を概観し、マグダラのマリアが「悔悛した娼婦」ではないことを明確にしたいと思います。マグダラのマリアに関する記述は断片的ですが、その複数の短い記述がイエス•キリストの十字架•埋葬•復活の場面に集中することの意味を考えていきます。暫定的な結論ですが、マグダラのマリアを始めとして、十字架と埋葬と復活に立ち会った女たちの存在が復活信仰の引き金になったとするジェイン•シェイバーグの仮説を紹介します。
聖書は男性優位の言語で、家父長制の社会構造の中で書かれた文書群です。それゆえ聖書を読む価値はないと考えるフェミニストも大勢います。しかしフェミニスト聖書解釈者たちは、聖書の言葉に「揺さぶり」をかけ、おぼろげにではありますが、古代の現実の中で信仰を保持し、その時代状況に対して神の真実のために抵抗したり、格闘したりした人々の輪郭をつかもうとしていること、これがフェミニスト聖書解釈の意義ではないかと考えます。

プロフィール

青山学院大学 理工学部 教授
福嶋 裕子 [FUKUSHIMA Yuko]

熊本大学文学部哲学科卒業。東京神学大学修士課程修了。ボストン大学神学部修士過程修了。ハーバード大学神学部博士課程修了。日本基督教団西方町教会協力牧師。専門分野は、新約聖書学。主な著書『ヒロインたちの聖書ものがたり』。訳書W.ブルッゲマン『叫び声は神に届いた』。