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2022.05.06

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河津町と共同で『母の日』企画を開催-「母の日」を初めて日本に紹介し定着に貢献した青山学院-

現在、世界中にひろく普及している五月第二日曜日の「母の日」の起源は、米国ウエストバージニア州にあるメソジスト教会で行われた一九〇七(明治四〇)年五月一二日の追悼会とされています。この日、アン・ジャービスの娘アンナが、母をたたえて参列者にカーネーションを贈りました。その後、アンナは、母の日を公的な記念日とする運動を始めます。
この運動は日本にも明治末年に伝えられました。青山学院の教師ギデオン・F・ドレーパーの夫人マイラは、アンナの提案を受け取ります。マイラは、青山学院で神学部長を務めたベンジャミン・チャペルの夫人マリー(青山学院の前身の一つ海岸女学校の校長を務めた)と協力して「母の日」の普及活動を行いました。その運動は、青山女学院長を務めたファニー(青山学院教師ロバート・P・アレキサンダーの夫人)に引き継がれます。
母の日は、戦後、日本にも定着しましたが、その普及には、三人の青山学院にゆかりの深い女性宣教師の努力がありました。青山学院では、初等部などの設置学校で、毎年母の日礼拝が行われ、近年では、街灯フラッグを掲げるなどの行事を実施しています。
※5月8日付、中日新聞・東京新聞サンデー版大図解「母の日」に記事が掲載されています。ご参照ください。

青山学院と「母の日」 ~日本に母の日を提唱した三人の女性~

「母の日」と深い関わりをもつ本学は、カーネーションの産地であり連携協定を結ぶ静岡県河津町とコラボレーションし、5月6日(金)に青山キャンパスのメインストリート、相模原キャンパスのF棟アーチ下にカーネーションを設置し、学生は色とりどりのカーネーションを摘み取りました。