
“売れる表紙”には理由があった——

1990年に創刊し、旅行のお供に選ばれ続けてきた旅行情報誌『じゃらん』(2025年3月休刊*)。人気の裏にひそむ統計データを駆使した戦略とは——。本誌の編集に携わり、現在は株式会社リクルートの取締役会議長を務める北村吉弘氏が、データをダイナミックに活用する編集現場の様子を明かしました。
*旅行情報誌『じゃらん』は、紙媒体からブランドを継承し、進化・発展する形で「じゃらんnet」に受け継がれています。
統計データから
「売れる表紙」を導き出す
今から約20年前、旅行情報誌『じゃらん』の編集現場では変革が起きようとしていた。センスや感覚に頼っていた表紙づくりに「統計データ」という論理的思考が導入されたのだ。当時『じゃらん』編集部に異動したばかりの北村氏は、その様子を「まったく画期的だった」と振り返る。いかにして「売れる表紙」は導かれたのか——。

「旅行」は必ずしも生活に不可欠ではないが、それでも人はお金を払って旅に出る。こうした「なくても困らない」ものが売れる仕組みに興味を持った北村氏は、自ら『じゃらん』編集部に飛び込んだ。嗜好品のヒットの法則を発見できれば、いかなるビジネスにも通用する武器を得られると考えたのだ。
いざ編集部に入ると、「このタイトルが良いのではないか」「写真はこちらの方が見栄えがいいだろう」という個人のセンスや感覚をもとに会話がなされることが多かった。作り手の感覚値や雰囲気が重視されていた。その状況を目の当たりにした北村氏は、新たに着任した編集長とともに統計データを用いて売れる表紙づくりに切り込むことになる。
まず取り掛かったのは、過去10年分の表紙の特徴を数値化すること。表紙の色やキーワードや写真、さらには雑誌が販売された時期の気温や景気といった外部環境など、抽出する要素は300以上に及んだ。次に外部パートナーと連携し、統計的手法の1つ「ベイジアンネットワーク」<用語解説>で要素間の構造を表現し、因果を仮定したモデルの下で「どの要素が売上に影響しうるか」を検討して、表紙の色や見出しのキーワード等の指標を入力するだけで販売部数への影響をシナリオとして試算できるシミュレーターをつくり上げた。
シミュレーションから得られた驚きの結果がある。旅行情報誌であるにもかかわらず、表紙の特集タイトルに「旅」という単語を入れると、80%の確率で販売部数が低下する影響がある、というのだ。
追加の読者への認知調査の結果、首都圏の場合は普段使っている交通手段とは違うものを使い、200km以上移動することが「旅」と捉えられると分かった。箱根や熱海へ行くことは、日常の延長線上にある「ちょっとしたお出かけ」だったのだ。この発見以来、「旅」と「お出かけ」の客観的な使い分けが可能となり、読者の購買意欲をかきたてる表紙づくりの素地が完成した。
それから時が経ち、リクルートではデータサイエンスを担うエンジニアの数が増え、新たなサービスを次々と生み出している。多種多様なデータを基に、思いもよらない発見を社内にもたらす彼らの姿を思い浮かべながら、「時代は変わったものです」と北村氏は表情を緩める。長年人気を博した『じゃらん』の成果は、客観的なデータで物事を語るという昨今のリクルートの風土を築く先駆けとなったのである。
< 用語解説 >「ベイジアンネットワーク」とは?[ X=原因、Y=結果 ]
複雑な関係性を「確率」でつなぐ
「物事どうしの関係」を確率で表す統計的手法。原因と結果を矢印で結んだ図で表され、「Aが起きたらBが起きやすい」といった関係を計算で導く。『じゃらん』では、表紙の要素の何が直接的、もしくは間接的に売り上げへ影響しているかを整理し、その結果「この色、このキーワードなら売れやすい」といった関係が確率で計算できるようになった。医療診断や天気予報など、さまざまな分野で使われている。
