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NEWS(スポーツの活躍)

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2024.12.06

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【山岳部】井之上巧磨総隊長(文学部 史学科4年)率いる「日本山岳会学生部プンギ遠征隊」がヒマラヤの未踏峰「プンギ」に世界初登頂

左:井之上巧磨さん(文学部 史学科4年)

2024年10月12日(土)、本学体育会山岳部主将の井之上巧磨さん(文学部 史学科4年)を総隊長とした、東京大学、立教大学、中央大学の学生5人による「日本山岳会学生部プンギ遠征隊」が、ネパールのヒマラヤ山脈にある未踏峰の山の一つ、標高6,524mのプンギ(Phungi)の登頂に成功しました。
過去には、日本山岳会等がプンギ初登頂に挑戦していますが、未だその頂には誰も到達しておらず、今回の登頂は、まさに人類の登頂ともいえます。

左:井之上巧磨さん(文学部 史学科4年)
稲積学長に「プンギ」世界初登頂を報告する井之上さん

そして2024年12月6日(金)、井之上巧磨さんが稲積宏誠学長にプンギの登頂に成功したことを報告いたしました。

稲積学長に「プンギ」世界初登頂を報告する井之上さん

「プンギ」世界初登頂成功までのエピソード・コメント

井之上巧磨さん(文学部 史学科4年)

未知なる山、ルート、場所を既知のものへ変えていくという探検的精神を含んだ登山をやりたいと未踏峰を目指し、山岳部へ入部して4年が経ち、素晴らしい山と仲間、そして運に恵まれその夢を実現することができました。自分の歩む一歩一歩が、人類にとって初めての一歩であり、僕たちの一歩一歩が今後の人類にとっての道(ルート)となります。あらゆる情報が溢れる現代において、何も情報がなく、誰も足を踏み入れたことがない「プンギ」を学生だけで世界で初めて登頂に成功したことは、何にも代え難い素晴らしい体験だったと思います。またロープを結び合い命を預け合える、深い絆で結ばれた仲間ができた事も嬉しいです。
大学山岳部全盛期は過ぎ去り、全体的に下火の傾向にありますが、この登頂を通して、世間の方々には「大学山岳部は今も青春を山に賭けているのだな」と、そして高校生たちに「山っていいな」と思ってもらえたら、僕らの遠征の一つの意義になると思います。壮麗なヒマラヤの山々と、私たちを支え、応援してくださった全ての人に感謝したいです。

<予想しないクレバス(氷河の割れ目)>

登頂計画では、プンギサウス(南峰)にHC(※1)を設置後、その翌日、稜線上を行きプンギ(本峰)に登頂する予定でした。30日目、登頂計画どおりに、C2(※2)を出発し、尾根を登っていると次第に斜度は増し、いつの間にかそれは雪壁へと姿を変えました。行動時間は13時間を超え、標高が高く、酸素濃度が低いこともあって疲れが出てきました。「この壁を登りきれば今日の行程は終了だ」と、疲れ切った手足を機械的に雪に蹴り込み、一歩ずつ登っていると、遂に雪壁を乗り越えました。終わったぁという達成感を胸に前を見ると、目に飛び込んできたのは大きく広がるクレバス帯(※3)でした。太陽は無常にも西に沈み始め、今日の目標としていた場所には、突破できるかどうかもわからないクレバスの先にありました。パックリと空いた氷の裂け目を前に、気力も体力も限界の隊員5人が西日に照らされ立っていました。絶望していても仕方がないので、その場にテントを張りつつ、ルートを探しました。薄暗くなってきた頃、裂け目を縫うようにして存在する細い氷の道を見つけました。最後の気力を振り絞り、ロープで体を確保しながら、突破するための固定ロープを張りました。こうして15時間に及ぶ行動が終わり、人生で1番疲れた1日が幕を閉じました。

※1 High Campの略称。ベースキャンプから数えて3つ目の最終キャンプ。6200m。
※2 Camp 2の略称。ベースキャンプから数えて2つ目のキャンプ。5500m。
※3 氷河の割れ目

<高山病に苦戦>

30日目、クレバスの突破工作が終わり、HCに半ば倒れるように転がり込みました。標高6,200mでは、酸素は平地の半分しかありません。時間が経つにつれ、高度障害の頭痛が出てきました。それまで15時間動き続け、かなりのカロリーを消費しているはずなのに全く食欲もわきませんでした。何とかスープを一杯だけ飲み、翌日に備えて寝袋に潜りこみました。
外気は-20℃ほどで、テントは凍りつき、室内の結露が霜となり雪のように舞っていました。筋肉は熱を持ち、軽く痙攣していましたが、4人用テントに5人で寝ていたので寝返りすらうてない状況でした。頭痛も続いていたため、寝たかったのですが、寝ると呼吸が浅くなり高度障害が進行するため、とても辛かったです。起きていても地獄。寝ても地獄。のちに、私たちはこの状況を「雪と氷の監獄」と名づけました。

<関税や円安で予期せぬ出費>

空港での出国手続きをスムーズに行いたく、嵩張る大荷物を持って歩くことも避けたかったため、2ヶ月に渡る遠征装備を集め、事前にロープや登攀具、食料を国際郵便のEMSでネパールへ送ることにしました。初めての国際郵便利用で慣れていなかったこともあったため、梱包方法が規定どおりになっておらず、また品物一つ一つの名称と値段を記載することを知らず、荷解きして梱包をやり直すことになってしまい苦労しました。
私たちが無事にネパールに到着し、現地の郵便局へ荷物を取りに行くと、局員から受け取るには関税として16万ルピー(約16万円)を払う必要があると言われました。日本での梱包作業時、荷物輸送でトラブルを起こしたくなかったので、全ての荷物とその定価の値段を正確に記載しました。それぞれが高価な登山道具の累計額はかなりの値段になり、それに対する関税も当然ながら高く、予想外の出費でした。
そして私たちが遠征を決めたタイミングから円安が進み、ネパールへ入国時の円レート状況はあまり良くありませんでした。円からネパールルピーへ換金した際、円の価値がルピーより低いことを実感しました。円安が進んでおり、当初の計画より遠征経費が上がってしまったため、首都のカトマンズでの滞在やキャラバン(首都→BC(※4))中は節約生活を心がけました。お湯は宿で頼むと600ルピーかかるため、持参したバーナーを使って沸かし、夕食はおかわり可能なダルバート(※5)を頼み、満腹中枢を刺激して満腹感を得るために30回以上噛むなど、ルールを作り、できる限り出費を抑えました。
無事登山を終え、街に戻るとさらに円安が進んでいました。想像以上に諸経費がかかっており、カトマンズに戻ってから帰国までの1週間、余ったアルファー米を食べたり、1部屋2000ルピーの宿に泊まったりして過ごしました。海外遠征では、想像できないような恐ろしい問題が潜んでいて、貧乏旅行ではありましたが、それもまた貴重な経験でした。

※4 Base Campの略称。食料や装備品、ある程度の生活資材を備えた山中に作る基地。4700m。
※5 ネパール料理

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