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アジアの生活と文化

青山学院女子短期大学学長 八耳 俊文

青山学院女子短期大学学長
八耳 俊文 [Toshifumi Yatsumimi]

東アジアの本草の歴史と生活文化

第2回 2017/5/20(土)

「本草」とは中国で生まれた動植鉱物を対象とする自然学・薬学である。言葉としては紀元前後の文献に現れ、その始まりは神仙思想と密接に結びつき、不老長生薬としてどれが適しているかの関心から自然物を調べ上げ、その知識をまとめたものである。長生が究極の目標ではあるが、当然、日常に罹る病気への対策を怠るわけにはいかず、広く薬学の色彩をもつ自然学である。

よく似た言葉に「博物」があるが、これはモノに関する知識の集まりである。「本草」が人間の身体との関係なくしてありえないのに対し、「博物」は人間の身体との関係にこだわらない点で決定的に異なる。「本草」は現実の学問であり、対象とする自然物を自分の身体内に摂取すればどのような反応が起きるか関心をもつものであり、入手できないモノ、想像上のモノについて、考察の対象とすることはない。

現在、内容が明らかな中国最初の本草書は、陶弘景編『神農本草経集注』で西暦500年頃成立した。その後、蘇敬ら編『新修本草』(659年)、唐愼微編『証類本草』(1100年頃)、李時珍編『本草綱目』(1596年)などの総合本草書が中国でまとめあげられた。対象とするものは動植鉱物にとどまらず、人間が手に入れられる自然物万物に及び、『本草綱目』に至っては2000近い薬物を収載している。

中国で生まれ、中国での知識をまとめた本草であったが、朝鮮半島や日本にさらにベトナムへと広がると、中国の本草書の研究だけでなく、各地域の自然物への関心を惹起した。たとえば日本では『本草綱目』は中国で刊行後の間もない時期に伝わり、『本草綱目』の研究から、『本草綱目』には掲載されていない自然物(例えば日本固有の植物や魚類)の研究へと発展することとなった。こうして江戸前期には当時流行の種々の食物本草の書物が著され、1709年には貝原益軒により日本原産地のモノについて『大和本草』としてまとめあげられた。

江戸時代は自給自足の時代であり、それぞれ諸藩においても産業の発達がはかられ、自国の資源調査も精力的に進められた。こうした中で産業や資源としての関心に満足することなく、動植鉱物への純然たる知識が競われるようになり、それを記録に残すかのように、色鮮やかな図譜も描かれるようになった。自然物への知識がいったん修得されると、次にはより高い水準やより広い範囲を求めて交流が行われるようになった。

こうして知的サークルの誕生、本草会や物産会などの展覧会の開催、さらには植物を通じて中国や朝鮮、西洋との交流も生まれるようになった。本講義ではこれら東アジアの交流の中で生まれた本草の精華を紹介するとともに、そこに残された交流の様子を読み解きたい。

プロフィール

青山学院女子短期大学学長
八耳 俊文 [Toshifumi Yatsumimi]

名古屋大学理学部地球科学科卒業。東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専門課程博士課程満期退学。1989年青山学院女子短期大学教養学科専任講師に就任。同学科助教授、教授を経て、2012年より女子短期大学現代教養学科教授および学長。専門は科学史。元洋学史学会会長。最近の著書(共著)として、『岡山蘭学の群像1』(山陽放送学術文化財団、2016年)、『青山学院女子短期大学 六十五年史』(青山学院女子短期大学、2016年)、『化学史事典』(化学同人、2017年)等がある。

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