メインコンテンツへ

都市と芸術

江戸と葛飾北斎

第3回 2017/12/2(土)

すみだ北斎美術館 学芸員 山際 真穂

葛飾北斎(1760~1849)は江戸時代後期の浮世絵師である。米国『ライフ』誌による、1000~2000年期の世界に最も大きな影響を与えた100人のリストに日本人で唯一ランクインするなど、現代ではその名は世界的に知られており、日本を代表する絵師といっても過言ではない。

北斎の画歴は長い。勝川春章のもとで浮世絵を描いていた習作時代には、役者絵などの制作を行い、勝川派から独立をした宗理時代には、摺物を多くてがけた。北斎を名乗ってから50歳頃までは読本挿絵と肉筆画を精力的に描き、50歳から70歳頃までは、現在も代表作として名高い『北斎漫画』をはじめ絵手本を集中的に制作した。北斎の代名詞ともいえる「冨嶽三十六景」シリーズを描いたのは、70代前半に錦絵を中心に創作をしていた頃である。その後、晩年期には、肉筆画の制作が増加した。

これらの作品は、需要があって初めて制作されるものであり、江戸の人々の欲求が北斎の芸術を創ったということもできるであろう。例えば、北斎が習作時代に描いていた役者絵の多くは、当時の舞台での歌舞伎役者の様子を描いたものであり、現在でいうブロマイド写真の役割を果たしていた。これらの作品は安価で売られたため、経験の少ない絵師が腕を磨く格好の修練の場でもあった。舞台上の役者の美しい姿を家に持ち帰りたいという江戸の人々の欲求は、葛飾北斎の師匠である勝川春章に、「似顔」という役者の顔の特徴をとらえて描く手法をとらせ、北斎はその技術を継承しつつ画技の向上に励んだ。

勝川派独立後の彼の制作活動の中心となった摺物とは、市場で流通する錦絵とは異なり、注文主が制作費用を負担して制作をさせる版画のことである。趣味人のプライベートな楽しみのために利益を度外視した作品が多く制作され、一般の市場の欲求にこたえる錦絵とは異なる洗練された画技が求められることも多かった。北斎は、「宗理様式」と称される、うりざね型の楚々とした雰囲気を持つエレガントな美人画の型をつくるなど、その需要に見事に応えていった。

江戸の人々の持つ欲求が北斎に作品を創らせ、その作品がまた江戸の人々の次なる欲求をかき立てさらに作品が創られていく。そのような連鎖の中で、北斎の芸術は育まれていった。この講義では、その連鎖の一端をひもといてゆきたい。

プロフィール

すみだ北斎美術館 学芸員
山際 真穂 [Maho Yamagiwa]

東京大学歴史文化学科美術史学卒業、同大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美術史学修士課程修了、同大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻美術史学博士課程在学。現在、すみだ北斎美術館学芸員。専門分野は、葛飾北斎。主な著書に、『完全網羅!浮世絵』(監修。中経出版、2013年)等がある。

大学案内